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「あげる」という言葉と謙虚であるということ

おはようございます。

暑いですね。暑さで目が覚める朝は、何よりも夏だと感じます、、、

先日、考察させられるお話を聞いたのでここでも自分考えをまとめておこうと思います。

「あげる」という話

お寺の住職さんの説法での話のようなのですが。

「謙虚な気持ちというのは、どのようなことでしょうか?」

謙虚というのは、相手をたて自分と違う意見も受け入れ相手を選ばずに素直な態度で接すること。そうゆう風に捉えています。

では実際はどうでしょうか?

「みなさんは「あげる」という言葉を使っていませんか?」

やってあげる。教えてあげる。助けてあげる。…

「実はこれはみなさんのものをあげてしまっているんです。限りなくこれを続けてみてください。あげるものがなくなった時はどうなるのでしょう?これまであげてきた人たちはあなたの前からいなくなってしまいます」

「あげるものがなくなってしまわぬように、常に人から「もらう」気持ちでいたらいいのではないでしょうか。」

させてもらう。教えさせていただく。お手伝いさせていただく。

「いただく気持ち、やらせてもらう気持ち。それが謙虚である姿勢につながるのではありませんか?」

とのこと。

この話を聞いた私のヘアメイクの先輩が

「昔、アシスタントの子にたくさん教えてあげたのに、デビューする直前で辞めてしまった子がいて。私ほんとに悔しかったし、なんでこんなに教えてあげてたのに、失敗してもフォローしてあげてたのにって事が何度もあったのね。

でも、この話を聞いて

私は「あげて」たんだね。自分が空っぽになっていたのかもしれない。そう思ったら涙が出てきたよ。」

と話てくださったんです。

先輩も(「あげる」側)も驕った気持ちで接していたわけではなく、成長してほしいという一心な思いでただただ一生懸命だったという事。でも、人というのは残酷で無情にもすれ違ってしまうものなんですね。

話を聞きながら、とても深く頷いてしまって。果たして自分はどうだろうか?と考えてしまいました。

きっと「あげる」って気持ちはたくさん持っているし、言葉としても使ってしまっています。

謙虚に生きる

謙虚に生きる大切さ。

最近ことごとく「人は1人では生きていけない」と感じています。

仕事を頂かないと生活はできないし、難しいことは助けてもらわないと乗り越えられません。

「もらう」ができなければ、人は上手に生きられないのだと感じています。

では、上手に「もらう」には?

自分が持っているものに驕らず、相手と常に同じ目線に立って

もらい合う

ということが重要になってくるのかな?と思いました。

どんどん、私も後輩という経験が少ない年下の子達と接する機会が増えてきています。技術を教えるという場面も増えてきていますが、それは私も先輩方からたくさん教えてもらってきたことです。だから、私はそれを後輩たちにあげるのではなく伝えることで謙虚な姿勢を自分なりに作り出すことができるのではないかな?と、この話を聞いて思いました。

そして、きっと後輩たちに伝えたことは後に助けてもらうにつながる気がしていす。

このことを知ることができて本当によかったです。命拾いをしたような思いです。

知らなければ、きっと私もあげてばかりで空っぽになっていました。




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