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シャッターを半分下ろす
調子が悪いとき、私は私を閉じてゆく。自己防衛するのである。シャッターを下ろすように。きょうは店じまいです、と。
昼食のあと、コーヒーを半分くらい飲んだところで、あ、きょうは調子が悪いんだと気づいた。となりの人のおしゃべりが遠い。日本語を受け取る力が弱くなっている。紗がかかっているようだ。会話の中身をよりわける前に、ただの音としてはたき落としている。
いま、意味を受け取るのはまずいのだ。とくに、
誰にも待たれていない状態
旅行から帰ってみると、いとこが長男を出産したという知らせが届いた。ふたりが電車とバスを乗り継いで、雪の積もった山あいの温泉宿でゆっくりしているあいだ、人ひとり生まれたのである。「おめでとう」とメッセージを送ったとき、ふたりはベッドでうつ伏せになり、ふくらはぎに貼った湿布が効果を示し始めるのを待っているところだった。
ときどき旅行へ出かけたが、計画を立てるのは決まって彼女だった。彼は方向音痴である
ヒット・アンド・アウェイでもてなす客を
彼らはふたりで暮らしている。彼女はせっせと人と会っている。家に呼び、料理をふるまい、酒を飲む。彼はひとりでいる時間を大切にしているから、彼女の知り合いが来ているあいだ、かならずしも出ずっぱりにはならない。たとえば、彼は日課として決まった時間のあいだノートに向かうことにしているので、まだ日課がすんでいなければ、喫茶店でそれを済ませてから、戻ってきて会に参加する。あるいは、何時間もぶっ続けでおしゃべり
もっとみるおじいちゃんのコート
古着屋で買ったツイードのコートをよく着ている。1950年代のものらしい。修理しながら着ているから、ところどころツギハギや引きつれがある。一度など、背中に大きな穴があいた。元々高価なものでもないが、毛布のように分厚くて重い、その古くささが好きなのだ。
妻には「おじいちゃんのコート」と呼ばれている。私は早くおじいちゃんになりたいのかもしれない。喫茶店に朝から晩までいて、図書館をひやかし、新しいものを
ふたつのゴルトベルク
はじめて夫婦でクラシックのコンサートへ行った。聴いたのは、ヴィキングル・オラフソンによるゴルトベルグ変奏曲である。
サントリーホールは、間近にせまったクリスマスの装飾できらきら光っていた。カラヤン広場に着くと、ちょうど開場を告げるオルゴールが鳴り、コートを着た聴衆が扉の中へ吸い込まれるところだった。
順番を待つあいだ、「芸術家はゼロから一をつくるという神話って何なんだろうね」と話した。よく知ら
映画『ガザ 素顔の日常』を見る
※映画『ガザ 素顔の日常』の内容を含みます
雨の降る日曜日の朝、午前九時に家を出た。ドトールでホットサンドを注文すると、届くなり指をケチャップで汚した。隣の席に座った白髪の男性が広げた朝日新聞の隅では、「世界の賢人」たちが集うフォーラムの開催が告知されていた。
電車の吊革につかまると、目の前の人が『風の谷のナウシカ』を広げて読み出した。カバーでは、王蟲の血で青く染まった服を身にまとったナウシカ
ローカル保存と上書き保存
コンサートの開演に遅刻して、入場できなかった。
パリから来日した演奏家による協奏曲が聴けるはずだったのだが。
ほんの五分の遅刻だったが、きっぱりと断られた。
くやしいが、見事な対応だったと思う。
土曜日の午後、新宿から電車で小一時間かかる見知らぬ町で、暇になった。
喫茶店で一服した後、駅ビルの中に書店を見つけた。
「まさか」と思うほどのすばらしい棚づくりがそこにあった。
定番はおさえながら「こ
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平日はフルタイムで働き、週末に文章を書いています。
発信は個人としてのものです。
担当編集の方によれば「チャレンジ→咀嚼→言語化」が得意です。
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■連載
メンズメイク入門|講談社 VOCE(2020/8~2021/9)
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