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歓待の準備

ふたりが引っ越してきたとき、もっとも重視した家具は、ダイニングテーブルだった。椅子も書棚も大事だが、結局はテーブルが部屋の雰囲気を決めるからだ。それまで暮らしてきた部屋で、もっとも力を入れてきたのはベッドだった。一日の中で、いちばん長い時間をその上で過ごすものだからだ。が、これからはただ暮らすだけではなく、客をもてなすことのできる部屋にしたいと考えていたのだった。

ベッドが夜に乗る草の船なら、ダイニングテーブルは客を迎える主人の顔に相当した。郊外の家具店で買った合板の組み立て机とはおさらばしたかったが、どういうものがいいか、具体的なイメージはなかった。というのも、顔を想像することは、イメージの操作の中でも、もっとも難しい課題のひとつなのである。その証拠に、彼は自分の顔すら自分で描くことができなかった。

偶然の出会いが難問を解決した。ふと訪れた古道具店で、百年前の木製のダイニングテーブルを発見したのだ。入店するなり、ふたりの目はひとつのテーブルに釘付けになった。「いいよね?」と彼女は訊いた。彼は深く頷いた。店員も売るのが惜しそうだった。「これはほんとうにいいテーブルですよ」という。あとから気が付いたのだが、その古道具店のホームページのトップ画像は、彼らが買ったテーブルだった。まさに、看板商品だったのだ。

百年分の小傷が入ったぶ厚い天板を、ローマ風の太い脚が支えている。テーブルを居間の中心に置くと、歓待の準備は整ったように見えた。モンテーニュによれば、人間というものは、全身がくまなくつぎはぎだらけの、まだら模様の存在にすぎない。だからこそ、ゆるぎなく客たちをもてなすためには、長い時間をかけて育ち、中心までみっちりと中身が詰まっている木材で作られた、本物の家具の力を借りる必要があったのである。この風格のあるテーブルなら、たとえふたりが席を外しても、ゆうに一時間くらいは間をもたせてくれそうだった。

文字数:805(テーマ:顔)


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