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保留の言葉

保留の言葉

長田弘『知恵の悲しみの時代』(2006年、みすず書房)は、戦争をしないでおくための「保留の言葉」をさがす本です。同書は「戦争の時代に刊行された本」にまつわるエッセイ集。1894年から1945年までに刊行された二十数点は、ほとんどが今はもう忘れられた本ばかり。著者はその中に、戦争をするための「果敢な言葉」に対する、戦争をしないでおくための「保留の言葉」を見出していきます。

なかでも、折口信夫・高浜虚子・柳田國男『歌・俳句・諺』(日本児童文庫、1930年)に感銘を受けたので、紹介します。同書は三名の共著ですが、一貫して「平凡なものに配慮せよ」と言っています。文学は非日常を書くと思われがちだが、そうではない。文学は、平凡な生活を書いてなんぼ。それが書けないのは下手だから。ズバリそう書いてあります。

上手な文学を知る人は、戦意を高揚させるような「果敢な言葉」を、下手な文学に過ぎないと見抜くでしょう。非日常にこだわり、偉大さをよそおって、じつは不滅に憧れているような飾り言葉。そんなものに惑わされないために、文学の読み方を知っておこう。同書はこうも読むことができると思います。

折口信夫「歌の話」

“文学というものは、われわれの実際の生活から離れたものが、よいのではありません”

折口信夫「歌の話」/

折口信夫・高浜虚子・柳田國男『歌・俳句・諺』日本児童文庫、1930年、P. 41

『歌・俳句・諺』は、伝説的な文学者三名が共著した児童向けの国語読本です。折口信夫が和歌・短歌を、高浜虚子が俳句を、柳田國男が諺を講義しています。とても平明に書かれており、大変勉強になりました。私は古書を買って読みましたが、内容の一部は青空文庫などでも読めるようなので、ぜひおすすめします。

折口は「文学というものは、われわれの実際の生活から離れたものが、よいのではありません」(同、p. 41)と言っています。これはもう、解釈の余地なく、はっきりと言っています。よい文学は実際の生活から離れない、「文学らしい」と思ってつくられた歌はダメ。これが折口の文学観なのです。

たとえば、折口は山部赤人の歌「春の野に すみれ摘みにしと来し我ぞ、野をなつかしみ、一夜寝にける」を「ほんとうのことではありません」(同、p. 40)と一刀両断します。「一夜寝にける」って、いくら春のすみれが良かったからといって、野原で一晩過ごすなんてありえないでしょう、ってことです。

「こういうのが、風流な歌というのであります。けれども実際、われわれの生活とは関係のないことを歌っているので、文学者だから、普通の人は違った考え方をしなければならないと思って作ったものです」(同)と、容赦しません。よかれと思って歌ったのに、こんな風に言われたら泣いてしまいそうです。でも、「ウケるためにつくったでしょう」と指摘されたら、赤人も「まあね……」と言いそうです。

高浜虚子「俳句の話」

“物の存在を認めるということは、善かれ悪しかれ、そのものの上に一個の注意を払うことであります”

高浜虚子「俳句の話」/同、P. 139

続く虚子は、落ち葉のような身近なものの面白みを明らかにするのが俳句なんだ、と言います。月・雪・花などが趣あるものとされることが多いけれど、天然の現象として考えれば、そのへんに落ちている落ち葉だって同じ現象ではないか。そうであれば、俳句とは真っ先に落ち葉の面白みを明らかにする文学なのである。虚子はそう書いています。

たとえば、与謝蕪村の句「西吹けば東に溜る落ち葉かな」を読めば、私は落ち葉の動きを意識します。虚子は、そうさせるのが俳句の力だというのです。ふだんは道端の落ち葉なんて気にも留めないけれど、蕪村の句はその存在を教えてくれる。存在を意識することは、すでにそのものに大きな価値を認めたことなんだ、と。

つまり、「俳句とは配慮である」と虚子は言っているのです。逆に言えば、私たちは普段、ほとんどのものをまともに配慮(ケア!)していない。月や、雪や、花ばかりに気を取られて、身近にある落ち葉の面白みにも気づきません。だからこそ俳句がある。文学がある。虚子のこの指摘は、折口の文学観と通じていると言えるでしょう。

柳田國男「諺の話」

“なんでもない当たり前のことを、おかしく事新しくいって見ようとしているうちに、だんだんに人は今迄心付かなかったことに、心付くようになって来たのであります”

柳田國男「諺の話」/同、P. 210

ことわざは物を言う技術である、と柳田は定義します。「うまいこと言う」技術がことわざなのです。そんな言葉の技の始まりは、人々が共同で働く場面にあったのではないか、と柳田は述べています。人が集まれば噂や世間話が起こる。警句も生まれる。それを伝えるのは「うまいこと言える者」であった、と。

“蒔かぬ種は生えぬ。”
“弱馬路を急ぐ。”
“油断大敵。”

(同、p. 176-177)

ことわざのほとんどがユーモラスなのは、それが「笑う練習」だからだ、と柳田は書いています。「仲間どうしの悪口はもと一つの練習でありました。世間すなわち知らぬ人の中にはいって、あまり大きな恥をかいて来ぬように、前から少しずつ笑われる辛さを覚えさせ、またなるだけ笑うことのできる人に早くしようとしたのであります」(同、p. 186)。

この「笑う練習」は、争いが真剣になる前に止める役割を果たしました。手が出る前に口を出して、笑ってしまおうとするわけです。その意味で、ことわざの応酬は「戦争ごっこ」(同、p. 205)であり、本物の戦争を回避するためにありました。

“例えば敵がごく弱いとみると、『鹿の角を蜂が刺す』だの、『釣り鐘に蜂』だのといって笑い、向うがそれを聞いて怒って来ると、『ごまめの歯ぎしり』だの、『蛞蝓にも角がある』だの、『なぶれば兎をくいつく』だのといいました”

(同、p. 193)

つまり、ことわざは元来、戦争しないための「保留の言葉」としてあった。それが文藝として発達し、人間の生活を批評するものになったのだ、と柳田はまとめています。

平凡なものに配慮せよ

このように、折口信夫・高浜虚子・柳田國男は、みな「平凡なものに配慮せよ」と言いました。月・雪・花といった非日常ではなく、落ち葉のような平凡なものをこそ書くべし。よい文学は、実際の生活から離れない。文学は、人々の生活の中から、必要に応じて生まれてきたからだ、と。

生活の中から生まれた文学が、人々の心を和ませ、争いを回避するための実用的なものであったことを、『歌・俳句・諺』を通じ、長田はあらためて示しました。『知恵の悲しみの時代』で紹介されているのは文学ばかりではありませんが、かつての戦争の時代、「果敢な言葉」が広がる世相のなかにあって、「保留の言葉」を求めた読者が、そのときたしかに居たのです。その事実は、いまこそ思い起こされるべきではないでしょうか。

読んでいただいてありがとうございます。