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マーガレットは幸せだったんだろうか。

まぁとりあえず今思っていることは「自分の人生のテーマは幸福」なんです。これを高校の時から飽きずに考えているんですよね。

なんでそんなことを考え始めたのかはわかりませんが、振り返ってみると、もしかしたら高校の時に滞在していたホームステイ先のおばあちゃんが亡くなったことは大きく影響しているんじゃないかなと思っています。

そのおばあちゃんに特別な思いがあったわけではないんですが、ただ昨日まで生きていた人が学校から帰ってくると亡くなっていたという事実が何か印象深い出来事だったんですよね。僕の心の中の何かが動いたんでしょうね。おばあちゃんは、もともと呼吸器系が弱かったし、高齢だったのもあり、なんとなく先は長くないんだろうなと思っていましたが、実際亡くなったら不思議な気持ちになりました。悲しいとかじゃなく、何か不思議な気持ち。頭では知っていたけど、人は死ぬという出来事を初めて脳が処理している感覚。

おばあちゃんの名前はマーガレット。夫はもう亡くなっていて、娘さんとその旦那さんが2階に住み、マーガレットは1階、自分は半地下に住んでいました。基本的にはマーガレットが毎日料理を作ってくれて、ベッドも直してくれていました。部屋にはお菓子もたくさん置いてくれて、まるでホテルみたいに快適でした。たまに2人で夕ご飯を食べると「あなたは海外から来て、第二言語で勉強をしていて本当に感心するわ」と毎回褒めてくれてました。優しくてたまに厳しいチャーミングなおばあちゃんでした。

ある日学校から帰ってくると、警察が娘さんに事情聴取をしていました。おそらく殺人ではないことを確認していたのでしょう。家に入ると娘さんに「マーガレットの症状が悪化して亡くなった」と言われ、その時の自分はどんな顔をしていたのかわかりませんが、どうしたらいいのかわからず、とりあえず平静装いながら「そうですか」としか言えなかったのを覚えています。お悔やみの言葉も言えませんでした。

「そのマーガレットはどこにいるの?」と娘さんに聞くと「自分の部屋にいるよ」と言われたのですが、半分開いていたマーガレットの部屋に入る勇気はありませんでした。ベッドの端っこが半分空いたドアから見えていて、このベッドの上に昨日まで生きていた人が亡くなって横たわっているんだなぁと思うとまた不思議な気持ちになりました。結局亡くなったマーガレットの姿を見ずにお別れをしました。

よく辛そうな咳をしていたマーガレットを思い出しました。なかなか咳が止まらずにキッチンで薬を飲んでゼエゼエしている姿。誰から聞いたか覚えていないが、彼女は延命を望んでいなかったらしく、自宅で急に亡くなったのは何か彼女の覚悟のようなものを感じました。同時に、これ以上苦しまずに天国に旅立ってよかったなと思ったような気がします。

たまたま自分は今まで死というものを身近に感じることが少なかっただけで、もしかしたら他の人にとっては当たり前のことなのかもしれません。誰かが言っていたのですが、人が恐怖に感じるものは大きく分けると「死」と「他者」であると。この死というものは人が大きく成長するのに役立つんでしょうね。死にそうな経験をした人は強いなどとよく言います。このマーガレットの死は僕の成長にとても大事だったん気がするんです。

亡くなった後、ふと彼女の人生は幸せだったんだろうか?と考えることがあります。それは彼女にしかわからないし、答えはありません。でもこの時に自分は確かこう思ったんです。人はいつか死ぬ。であれば死ぬ時に悔いは残したくはないなと思ったんですよね。それでその当時は芸人のラーメンズに憧れていて、彼らのようになりたいと思ったんです。好きなことをやっているなぁ。面白そうだなと。その後いろいろ方向は変わるんですが、当時はそう思ったんです。

もちろんマーガレットの死だけが影響してるわけではなくて、全てが繋がってるんです。もちろん両親との関係性や、様々な出来事が今の僕を作っていて、何がどう繋がっているかなんかはその瞬間は分からない。でも最近は全ての出来事は繋がっていて、全ての物事に意味があるんだなと思うようになってきました。それはもう個人の意思とかではなく何かしらの大きい流れのようなものがあると感じます。

そして答えを見つけることが目的ではないような気がするんですよね。答えは見つからないから面白いという感覚ですかね。なんていうか自分なりの答えを見つけるプロセスが僕にとっては人生そのものような気もします。また考えが変わったらそれはそれって感じですね。


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