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挑戦なき評論家になっていないか?

今日は自戒を込めた記事を書きます。


少し前のことですが、とある知人のツイートを読んでとても虚しい感情を抱きました。些細な何気ないツイートだったんですが、どこかに「あぁこの人は挑戦することから降りてしまったんだな」と感じさせる内容で、読んだあとすぐにnoteの下書きに書き残した言葉が今日のタイトルです。

元々はものすごい挑戦者気質。類まれな努力の末に業界内で一定の発言力を持つほどまでに地位を高めた方。だからこそ、そのツイートの評論家調な内容に虚構さを感じてしまいました。


もちろん、僕の勘違いかもしれません。ともすると、目に見えぬところで今も挑戦を続けているのかもしれない。

もしかすると、うまくいかないタイミングを潔く受け入れて、ストンと腑に落ちる瞬間が訪れるまでドシッと腰を据えて待っている最中な可能性だってある。

でも、たぶん。たぶん、『挑戦なき評論家になってしまわれた』気がする。


死ぬまで挑戦者でありたい。

そして、おそらく。おそらくだけど、本人には自覚がない。頭の片隅では違和感に気づいているのかもしれないけれど、無意識の部分で挑戦者のフェードから降りてしまわれた。

とは言え、挑戦なき評論家が悪いわけじゃない。人類が皆、挑戦者であり続けることを是とするなんて、そんなの青臭い幻想だ。

だけど、僕自身は挑戦なき評論家はダサいと感じてしまうし、やっぱり死ぬまで挑戦者であり続けたい。僕はそう強く思う。

ある意味で憧れていた挑戦者の方のツイートを見て虚しさを感じてしまうのも、僕の気持ちを表している気がします。


僕も無意識の罠に陥ってるかもしれない。

でも逆に、矢印の向きを変えて考えてみると違った景色も見える。

「今の自分はどうなんだ?」と問うたときに、真正面から「挑戦者だ!」と答えられる日々を過ごせているだろうか。

やっぱり人間はどこかに安定志向を宿している生き物だから、きっと無意識のうちに安全なフィールドに根を張ってしまうこともある。どれだけ自我が強くても、その可能性は十分にあるはずだ。

だからこそ、定期的に自分自身と自問自答をする時間をつくった方が良いんだろうと思った。


【 挑戦なき評論家になっていないか? 】


1週間に1度、たった1分で良い。鏡の前でこの問いを自分に投げかけてみる習慣をつくることにする。Slackの個人用ワークスペースに、以下のようにリマインド設定をしたから、毎週日曜日の21時には自問する時間を取る。

効果があるか、そんなことはわからない。だけど、やると決めたから、やり続けようと思う。今年はそんな自分との小さな約束を凛として守り続ける年にしていきたい。


今日のこの記事が、読んでくださった方の中で何かしらの気づきに繋がると嬉しいです。

では、またあした〜!


[この記事に共感してくれた方に読んでほしい記事]

>> 尖っている大人もカッコいいし、日常を淡々と紡いでいる大人もカッコいい。

>> うまくいかないタイミングを潔く受け入れて、ストンと腑に落ちる瞬間が訪れるまでドシッと腰を据えて待てる胆力こそが、本当は最も重要なんだ。

>> 当事者意識を持ち、主体的に取り組んで、自分の言葉で語れ。


追記:小倉ヒラクさんの造語『話聞いてもらえるおじさん』にも通じる内容な気がしました。こちらも記事もぜひ読んでみてください。


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