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自然は、うまくいかない自分を許してくれる

生まれてこの方、家に籠ってばかりの人生だけど、5日に1度は外に出ない1日がないと駄目な人間だけど、最近自然が好きだ。

自然の良さは「でかくて」「思い通りにならない」ところにある。

都会にある自然——というよりは緑は、だいたいがデザインされているものだ。人間が都合の良いように、心地よいと感じるように、区画を区切られ、伸びる範囲を制限して生きている。

そして都会には人工物が沢山ある。それは、私をドキドキさせてくれる。人間てすげー!文明ってすげー!こんな素晴らしいモノをつくるのにどれだけの人が携わったんだろう、こんなキレイな景色を味わえる人はどんな暮らしをしているんだろう、と人間の仕事に思いを馳せる対象が沢山ある。

都会にいると、なんでも自分のコントロールが及ぶように思えてくる。自然も人の流れも、キレイな景色も、人の支配下にある。「あなたも支配する側になりなよ」と、壮大な建物や美しい夜景やシズル感溢れるエンタメは私を煽ってくる。「自分だってなんだってできるはずだ」って、そんなふうに思えてくる。

だから私はこの街に何度も帰ってくる。奮い立つために。

一方で、何もかもがコントロール出来るような気持ちでいると、コントロール出来ないことがある自分が嫌になってくる。

「どうしてもっとうまく立ち回れないんだろう」「仕事だってもっとうまくできるはずだ」「こういうふうになりたいのにどうして」「あの人はあんなにうまくやってるのに」

誰かが作った美しい何かに囲まれて、いびつな造形の毎日に頭を悩ませてしまう。

そういう時、自然を見ていると気持ちが和らぐ。

特に私は、滝がすきだ。

変だと思われるかもしれないけど、容赦なく水が滝に向かって流されて、滝を転がり落ちて、「パァン!!!!!!!!!!」と岩にぶつかってはじけてはじけてはじけてはじけているのを見ると、癒される。その、水たちの、あまりの抗えなさに。

他にも、自然に取り囲まれて、突然の強風に吹かれて、他の動物に思わず遭遇するのもすきだ。私達がおおよそ操作できない変数のある時間が好き。私はこの壮大な風景にお邪魔している、小さな粒子の一つでしかない。

そういう場所にいると、「私ができることなんて、ほんの些細なことしかないんだ」と思えてくる。

「私ができる全てのことは、小さな小さなことしかないのだ」と許される。

自己効力感と無力感。

最近は、その2つを行き来することが、私の気持ちのバランスをヘルシーにしてくれている、私を正直にしてくれていると感じる。

大事なものは失わないとわからないけれど、そもそも大事なことを知らないと何もわからない

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半熟たまご

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