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旅情奪回 第14回:「神様」ペレに抱き上げられた少年。

今日もまた、時間を旅しよう。さて、唐突ではあるが、サッカーの王様といえば、これはペレをおいてほかにいない。サッカーを好きな人ならば絶対に聞いたことのある名前であろうが、別段サッカーとは無縁の生活をしていれば、耳なじみのない人名であってもしかたがない。ここに詳しいプロフィールや、彼の偉大なる功績を書き連ねることはしない。
ただ確実なことは、世界中で敬愛されるペレであっても、ブラジル人以上に彼をリスペクトする人たちはない、ということだ。

カトリック世界であっても、サッカー界であっても、常にライバル関係にあるアルゼンチンは、ブラジルより先に第266代ローマ教皇である教皇フランシスコを輩出したし、サッカー界でいうならば「神の手・マラドーナ」と「神の子・メッシ」の生国である。そういえば、旅に出るときは自身で電話して新聞配達を止めてもらうなど、質素で謙虚で庶民派として知られるフランシスコ教皇も大のサッカー好きで知られ、メッシからユニフォームをもらった際には、立場を忘れてさすがに小躍りしたと聞いたことがある。

私がブラジルに住んでいた当時、時の教皇ヨハネ・パウロ二世が、この時はアルゼンチンにほんの少し先駆けてはじめてブラジルへやってきたときのことをよく覚えている。というのも、当時私は、父からのプレゼントをきっかけに切手収集をはじめたばかりの年頃で、教皇訪問前から、郵便局やベンダ(キオスク)で美しい記念切手がたくさん販売され、私もコレクションに加えていたからだ。今はどうか知らないが、少なくとも当時のブラジルの切手はとても美しく、今見てもとても洗練されたデザインで、図柄の選び方や配置もモダンで、他国の、相変わらず少しヴィンテージ風な切手(それはそれで素敵なのだが)とは完全に一線を画していた。

さておき、教皇が空港に降り立ち、まず大地に口づけをしたシーンがテレビのニュースのあちこちで流れ、ブラジル全土が感動に涙し手を合わせた。
話が逸れたように思う向きもあるかもしれないが、実はブラジルのみならず、南米世界でペレに抱き上げられ、頭を撫でられるのは、教皇に按手される栄誉とほぼ等しい。そして、その「サッカーの神様」に頭を撫でられれば、偉大なサッカー選手になれるのだとまことしやかに思われていた。子供に夢を託す親たちが、ペレを見かけたならば、どうかこの子の頭を撫でてあげてください、とお願いするのである。

娯楽の少ない港町では、当然サッカーが一番ポピュラーで、当時ペレは現役を引退(1977年に引退)していた。あの頃私の新しいヒーローは、「白いペレ」と呼ばれ、カールの強い挑発をなびかせながら若々しいプレーで観衆を湧かし、全身で飛び上がってゴールを喜ぶジーコだったし、あるいはどこか神秘的な雰囲気でクールにプレイするドトール(ポルトガル語で医者・先生の意味)ことソクラテス(彼が親善試合か何かのために日本にやってきたとき、私はもう日本にいて、わざわざ試合を観に行ったほどだ)のファンだった。ペプシコーラを飲むと、そのタンピーニャ(フタ)の裏に、サッカー選手の写真が印刷してあり、子供たちはそれをおはじきのようにしてテーブルサッカーを楽しむのが流行した。何本ペプシコーラを空けても、ジーコは出てこなかったし、いわゆる特別賞であるフェルト製のタンピーニャフッチボールをするためのコートも当たりはしなかったが、いつかジーコを引き当てるんだと信じて、虫歯になるほどペプシコーラを飲んだ。

引退はしていたが、依然スーパースターであったペレは、彼が属したサントスのおひざ元であるサントス市内に最高にクールな愛車でよく現れた(らしい)。ペレほどの大スターが、まさか一台しか車を持っていなかったとは思えないが、父の記憶では、当時ペレは渋い赤色(私の記憶では黄色だ)のオープンカーに乗っていたらしい。

おそらく、1978年か、1979年ことと思う。あの日、私は家族四人で、ゴンザガという街にある、シーフードがおいしい中華料理店にいた。突然、店内がざわめきだした。大声を出す者もあれば、叫びだす女性もいた。お客さんが皆、ドアに向かって走り出した。出遅れた者は、窓から身を乗り出している。その窓の向こうに、父が赤、私が黄色と記憶した美しいスポーツカーが停まっている。
やがて、その主が店内に入ってきた。もちろんペレ、その人である。ペレは、最初気さくに、にこやかに他のお客さんに挨拶をしたりしていたが、私たち一家が目に入ると、まっすぐにこちらへ近づいてきた。
父に「サンパウロならともかく、この辺りで日本人の家族を見かけるのは珍しい」とかなんとか少し話したようだが、やにわに当時5歳の私をひょいと抱き上げ、この頭に手を置いた。

本当に一瞬の出来事だったし、あまりに無駄のない動きで一連の事件が起こったのだが、そのスマートさが「お約束の呼吸」なのか、抱き上げられた瞬間、誰もヤジを飛ばさず、誰も嫉妬もせず、ただそのシーンに感動していたようだった。ペレの腕の中で観る景色は、そんな感じだったろうと思う。その場にいた他のお客さんが例の伝説、つまりペレに頭を撫でられると…というを話してくれた。もちろん、こちらはとうにその話は知っていたのだが。

あれから40年以上経って、私がサッカーが巧かったことは一度としてないから、なんだか期待に応えられなかったような、都市伝説から逸脱してしまったような申し訳ない気持ちになるのだが、誰に話してもにわかには信じてもらえないようなあの瞬間は、断じて「都市伝説」などではない。

後日思い立って、そんなことをペレ本人が覚えているかどうか興味があって、ポルトガル語はもう書けないから、英語で、彼の公式ウェブサイトだかどこかにメールをしてみた。もし彼が覚えてくれていたならば…。何か見返りや、プライズ、虚栄心を満たすためのよすがが欲しいなどとは微塵も思わない。ただ、牧歌的なのに特別なあの思い出を、もう交錯することがないそれぞれの時間の中で、ふと思い出してくれたらと思っただけなのだ。その後、本人はもちろん事務局だろうか、どこからも返事はなかったのは残念だが、まぁ当然といえば当然の話ではあるかもしれない。(了)

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