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最近顔が間抜けである。私の顔のことである。

髭をたくわえてかれこれ30年になる。当時は若者が髭をたくわえるということにはデメリットしかなかった。老け顔、無精、生意気、印象の治安が悪い、暑苦しい…などなど。しかし私はどうと思うことなく、ただ髭のある生活を送っていただけで、そうした世間の声を別段気にかけてもいなかった。
それがやがて、おしゃれヒゲのようなファッショントレンドが後に来るとは、世の中わからないものである。

「ヒゲ、おしゃれですね❤」

とでも女性に言われようものなら、「ふ、流行りに乗ったわけじゃないさ」と心の中で小さく、飛び切りのイケボで呟いたものである。

日本における近代以降の髭の歴史をたどると、髭がもてはやされたのは明治時代までで、戦争に突入して衛生面と根性論で髭が排除されて以降は、戦後も引き続き髭にはマイナスのイメージが与えられた。さらに、カウンターカルチャーの時代には反抗のシンボルだとか、アウトローの証だとか、それなりの大義があったものが、髭なし時代が長くなると、髭には、ポリシーやメッセージが失われていったのかもしれない。
美しく健康的な髭のない顔が、男性の新たな理想像となったことで、逆に髭の象徴するものが時代に置き去りにされてしまった。言うなれば髭が無毛化されてしまった、ということではないだろうか。

シェーバーやエステの広告に、確か人生で髭剃りに使う時間は膨大なものになると見た覚えがある。記憶が曖昧なので、さっそく検索してみる。

「15〜60歳まで45年間毎日10分ヒゲ剃りをした場合、生涯ヒゲ剃りに費やす時間は2,737時間です。 2,737時間を日数で換算すると、約114日。 約3ヶ月ヒゲ剃りに費やす計算です。「(google検索より)

確かに、こうして数値化されると相当な時間であるが、毎日のことであるし、それが日常であるから、髭剃りに使う時間を惜しいとは思わない。お金が貯まらない人の感覚と同じだろう。

さて、髭がある自分の顔は、もう一生このままなのだと、なかば前提のように思い込んできて自ら疑う余地もなかったのだが、そうでもなかったのである。ここ一年で、髭が真っ白になってきたのだ。
少し髭に白髪が混じってきたな、と思っていたら、あっというまに白髪のほうが多くなっていた。毛髪にはあまり白髪がないが、ふと気づけば白髭だらけ。つづらを開けた覚えはないのだが、浦島太郎とはまさにこのことである。

当たり前である。同じ顔でも、歳とともに髪の毛が細くなったり、目尻に皺ができたり、目の下に隈が出来てきたりする。それと同じように、髭も加齢するのである。

髭というのは、顔立ちの中で言えばアウトラインのようなものである。口や顎、首の周りをしっかりと黒い髭が分けて、顔のパーツのバランスに影響していく。しかし、そのラインが白くなり、地肌が浮き上がってきたとき、顔の印象は大きく変わってしまう。ブラウザで、ダークモードをデフォルトに戻したときの、なんとも言えない間抜けな感じと同じようなことだろうか。
何十年も、黒い髭で縁取られた鼻から下を鏡で眺め続けてきたからなおさらそう感じるのである。

といって、髭の白髪染めというのはやはり現実的でないらしい。だいたい髭の伸びるスピードは髪よりもずっと速いし、それこそ手入れをしないで髭を生やしておくことはしない主義だ。毎日手入れをする髭のために、そもそもできもしない白髪染めを試す方が、はるかに時間の無駄である。

最近顔が間抜けである。こんなことは予想もしていなかった。顔面の人生計画が音を立てて崩れたわけだが、今後は、この白い髭をどうやって顔の一部、新しい印象へと昇華させていくか。計画の抜本的で大幅な見直しが検討されている、といった次第である。(了)

Photo by Clker-Free-Vector-Images,Pixabay


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