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地理旅#9「チベット編~天空列車に揺られて」

民族の交差点

2017年、夏。地理教員で企画している海外研修のスタッフとして、チベットの聖地を目指す旅に出た。

上海を経由し、青海省の省都・標高2,250mの西寧へ。ホテルに到着したころには日付も変わっていた。これから訪れる標高4,000~5,000m級のチベット高原への高地順応も兼ねて、西寧で一日を過ごすことに。

東関清真寺(モスク)

西寧は、中国のほぼ中央部に位置しており、漢民族のほか、ムスリムの回族、チベット族、モンゴル族などが住み、古くから異民族が混ざり合う都市を形成してきた。ここでは、少数民族の割合が約半数近くを占めている。

街を歩けば、イスラムワッチ(つばのない帽子)を被るムスリムの多さが目に留まり、食料品店には必ずといって良いほどHALAL(ハラール)の表記がある。西寧のシンボルでもある東関清真寺の周辺では、礼拝用の絨毯を売っている店が立ち並ぶ。

人口543万人の西寧は、想像以上の大都会だった。市街地には高層ビルが立ち並び、年中クリスマス?!というほどのネオンがきらめいている。

「先富論」で豊かになった沿岸部に続き、政府は西部大開発を掲げている。西寧も建設ラッシュの最中であった。チベットの聖地・拉薩(ラサ)まで鉄道が繋がったというのも、紛れもなく西部大開発の一環である。


天空列車に揺られて

西寧駅も2014年に改築されたばかり。だだっ広い駅構内では、大きな荷物を抱えた人が電光掲示板を見つめている。そこに北京、上海、拉薩の文字が光るあたり、中国のド真ん中に来たと感じる。

僕らは、20:30発の青蔵鉄道に乗車した。西寧からラサまでは約22時間、約2,000kmの旅。ちなみに「青」は青海省、「蔵」は西蔵(=チベット自治区)の略である。

4名1室のコンパートメントで他の先生たちと談笑した後、旅の疲れからか気付くと眠りに落ちていた…。

「風の旅行社」HPより

夜が明けると、6,000m級の崑崙(クンルン)山脈が窓の両側に広がっていた。中央アジアまで3,000kmも続く山脈は、日本列島の長さと同程度。ユーラシア大陸の壮大さを見せつけられる。

天空列車は標高4,767mの崑崙山峠を通過する。飛行機に比べ、鉄道旅行は徐々に高度を上げるという意味で高山病に罹りにくいとされる。それに、車内酸素濃度は低地の80%に保たれている。

…だが、何やら息苦しい。手足の指先も痺れている。日本から持参したアルフォートはパツンパツンになり、なかには耐えきれずに力尽きた輩もいる。そして、車内では何やらビュービュー音がするけど…。

ト、ト、トイレの窓&ドアが全開・・・そして、列車内に外気が吹き込んでいるんですが…!

車内には、酸素吸入器が至る所に設置されており、万が一に備えて医師や看護師も同乗しているという。だからトイレの窓が全開でも問題ない・・・訳ではなかろう。試しに酸素を吸ってみたが、楽になったような・・・どうだろう。

続いて、野生動物の楽園・ココシリ国立公園を通過する。原始の生態環境を完璧に残した稀な地域として、2017年7月に世界自然遺産にも登録されたばかりであった。チベットカモシカやチベットノロバが氷河を背に悠々とたたずんでいるが、それよりも地理教員軍団が注目しているのはヤクである。

ヤクは、長い角を持つこの黒いウシ科の動物で、体重は800kgにも達するという。おもに、耕作限界を迎える3,500〜6,000mの高地で放牧されているが、ココシリ国立公園では野生のヤクも生息している。

家畜としてのヤクのミルクは、バター茶やバターランプ、毛はテントや寺などで利用され、チベット文化とは切っても切り離せない動物だ。しかし、野生のヤクは国際自然保護連合によって絶滅危惧種に指定されているという。

ヤクは、これまでも100年以上、密猟、家畜と人との競合によって生息地を追いやられてきた。それに加え、追い打ちをかけているのが気候変動だ。チベット高原は、他地域の約2倍ものスピードで気温上昇が進んでいることが報告されている。

ココシリ国立公園が原始の生態環境を保っているとは言え、空はつながっている。この稀有な自然環境でさえ、気候変動の脅威に晒されているのだ。


世界の屋根を行く

青蔵鉄道の旅は、とにかく空が近い。8月は雨季だが、降水量は東京の1/8に過ぎず、空気は澄んでいる。「青空のなかにいる」という気分にさせてくれる。

車窓からは、中国最長で世界3番目の長さを誇る長江の源流・沱沱(トト)河を臨む。河口の上海まで6,300kmを旅する大河の雄大さに、これから始まる物語を想像してしまう。

いよいよ、鉄道による世界最高地点・唐古拉山口(タングラ峠)へ。標高5,072m。植生が乏しく人の手が加わっていないチベット高原では、典型的な氷河地形が多数観察できる。

息を吞む車窓の連続に、窓にカエルの如くへばりつく地理教員の皆さま。こちらも壮観であった。

最高地点を通過すると、列車は最高速度160km/hで遊牧民が暮らす大草原地帯を駆け抜ける。と言っても、よく見るとソーラーパネルやバイクなんかも備え付けてあるのだが。

中国政府は、遊牧民たる彼らにも定住政策として住宅をあてがっている。これも西部大開発という旗印のもので「漢民族化」させる方策の一つだという。

いよいよ拉薩駅に到着し、せっかくなので先頭車両と記念撮影しようとしたら、五星紅旗(中国国旗)を胸につけた警備員に怒られ、あえなく退散した。

どうやら、僕らはチベットの聖地に足を踏み入れたらしい。


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