【自己紹介】辺境として生きて、辿り着いた現在地
はじめまして&いつもお世話になっています。齋藤亮次です。「齋藤」で35画です。「次」ですけど長男です。メンドくさくてすみません。
自分自身の整理のために、更新し続ける「自己紹介」させて下さい。「お前のことは知っとるわ!」という方は、「2.」からお読みください。
1.略歴
2.辺境として生きて
有り難いことに、生徒からはこう言われる。我ながら、大好物のマグロが憑依したように笑、立ち止まらずに(れずに)フラフラしている。旅好きの性か・・・笑
だが、自身はどう捉えているかと言えば、たしかに「新しいことが好き」なのかもしれないけど、軸がふわつき「プロフェッショナル」と誇れるものがないのではないか、と自信が持てない側面もあった。
私は、地理の教師であり、学級担任であり、ハンドボール部の監督。あれもこれも、大好き。だからこそ、どれもこれも、中途半端なのではないか。いわば「辺境」に生きてきた。ないものねだりかもしれないけれど、熱中しているものにエネルギーを100%注いでいる人が羨ましかった。
好きな言葉が、まさか、自分に重くのしかかるとは・・・。
そんな折に第二子が生まれ、体が一つしかないことに気付き(遅い)、限界を感じ、悶々とする日々。急に付け加えられた「父親」としてのアイデンティティに対応する移行期間として、1年間の育児休暇を取得することに。
3.ドラえもんでキャッチャーな少年だった
時間だけはあるので、揺れ動くアイデンティティを探るべく「幼少期に好きだったもの」を深堀りしてみることに。
すると「ドラえもん好きな野球バカ」であることを思い出した。心酔したのは、秘密道具を手にのび太に寄り添うドラえもん(ちょっとオッチョコチョイ)、ポジションはピッチャーの強みを活かし全体を見渡すキャッチャー。共通点は、どちらも「誰かの力を引き出し、成長に寄り添う」ということ。
人生の転機に寄り添ってくれた恩師たちは、自分で気付いていなかった長所を見抜き、そして挑戦する場を与えてくれた。自分もそんな存在になりたいと思い、教職の門を叩いた。それが、初心だったことを思い出した。
「人生を変える」というのはおこがましいけれど、誰しもが持つ原体験を改めて言語化することはできる。教師の役割は、場を用意すること。問い、委ね、待ち、信じること。
4.必要なのは「眼差し」だった
今まで、ずっと「辺境」を生きてきたと思っていた。何においてもプロパー(専門家)として投資している時間が足りていないことに焦っていた。
でも、それは「何をやるか」に固執しすぎたせいだと思うようになった。地理にせよ学級担任にせよハンドボールにせよ、一気通貫していたのは「生き方=ライフデザイン」なんだと。扱っている対象が何であれ、「眼差し」に一貫性があれば、それは価値があるんじゃないかと認識するようになった。
教師になる上で必要に駆られて選んだ地理学、たまたま顧問になったハンドボール部(素人)。自分の人生は受け身で、失敗だったんじゃないかと思うこともあった。けれど、「ご縁」には、自分で意味を付与できる。これこそが、スティーブ・ジョブスが残した"connecting the dots"ってことなんだろうなと、今なら思える。
人生に必要なのは、地図ではなく羅針盤。行き着く先は誰にも分からないし、時代によって地図は描き替わる。けど、どんな方向に進みたいかという羅針盤は、持つことができる。自分の直感さえ信じられれば。
誰もが人生の羅針盤を手に入れる。そんな世の中を創りたい。
最後までお付き合いいただき、有り難うございました!
※今までの取り組みをArchivesとしてまとめました。
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