読書感想文 『i』 (西加奈子)/Gという記号
多様性とか、個性とか、それぞれの形とか、フェミニズムとか、アイデンティティとか、だれでもトイレとか、難しいことはよくわからないけれど、この世界でそういうことが叫ばれるようになって久しい。
よくわからないけれど、きっとそれはいいことなのだろう。結構なことだ。世界は平等に向かって進んでいく。平等万歳。
そして男の身でありながら男に恋心や欲情を抱く俺もまた、LGBTなんとかかんとか、というジャンル分けをいつの間にかされていた。
「G」、それが俺に世間から与えられた属性で、名前で、記号だ。なんとも味気ない。
俺は正直この記号が気に入らない。
別に否定するつもりはないんだ。
きっと悠々自適なトーキョーゲイライフを謳歌していて、守るものも失うものも持たない身軽な俺と違って、この世界には己の性的嗜好に悩み苦しんでいる人はたくさんいるんだろうし、同性同士で結婚したりしたい人もいるんだろう。そしてそういう人たちには幸せになって欲しいし、そういう人たちの生きやすい優しい世界になって欲しいとも思う。
だからそのために必要な記号だというのなら甘んじて身につけよう。それが俺好みのアクセサリーではないとしてもだ。
俺は「異性愛者の皆さんは、きっとゲイ(セクシャルマイノリティ)という存在が怖いんだろう」と思うことがある。だからこんなアルファベット一文字でカテゴライズして、塀の中に囲った気になって、安心したいのだと。でもそれで世間の皆様が安心するならまあそれも構わないとも思う。
俺たちが世間から恐れられるのは仕方のないことだ。人は自分と違いすぎるものを怖がるものだから。
それは俺だってそうだ。
たとえばこの前終電車で、他に誰もいない車両で黒人の屈強な男性と2人きりになった時、つい本能的に、恐怖みたいなものを感じてしまったのも事実だ。
彼は別に何もしてない。俺と同じで、少し酒に酔って、慌てて最終の電車に乗って、偶然東洋人の酔っ払いと向かい合った席に座って、スマホをいじっていただけだ。
でも俺は彼を見て「屈強で怖そうな黒人男性だ、怖い、カツアゲされたりしたらどうしよう」と一瞬思った。
人は誰でも見る角度を変えれば、何かしらのマイノリティだ。それが目に見えてわかりやすいかどうかの違いしかない。肌の色とか、性的嗜好は、外からわかりやすいというだけだ。
なんて、開き直ってみたけど、じゃあこの「G」への違和感は、どうすりゃいいのか。
どうもこうもない、俺は俺だと言って生きるしかない。
俺がなぜ男を好きなのかとか、いかに無害な人間であるかとか、性病は持ってませんとか、そういうことを世間の皆さんに説明して廻ることなどできない。
「私ゲイの友達欲しかったんだよねー」とか言ってゲイとつるむことをステータスだと勘違いしている女子や「俺のこと変な目で見るなよー」とか言う不細工なストレート男子全員に文句を言って廻ることも現実的じゃない。
俺の性癖は俺1人のものだし、ゲイではない人に、いや或いは同じゲイの親友たちにすら、本当の意味で理解してもらうことなど一生できないだろう。
それは俺が他人を決して完全に理解できないのと同じことだ。
だから俺にできることは「これが俺なんで、さーせん」とか言って、胸を張って…とまでは言わないけれど、まあ飄々と生きることくらいなんじゃないだろうか。
悠々自適なトーキョーゲイライフを送り、軽率に男と寝たり、二丁目で酒を飲みすぎて吐いたりしながら。「俺のこと変な目で見るなよー」とか言うストレートの男には「整形してからものを言え」と笑顔で返そう。
それは別に俺がゲイだからじゃない。そういう俺が、素の俺だからだ。
「i」
寝てばかりいた学校の英語の授業、いつも成績は2だったが、確かこの単語は知っている。
「俺」って意味でしょ?
個人的に、この記号、アクセサリーは、嫌いじゃない。
少なくとも「G」なんかより、ずっと俺好みだ。
(※ここに書いたことは全て僕の個人的な意見であり同性愛者の意見を代弁するものではありません。俺みたいな軽薄なゲイばっかりじゃないからね。同性婚、できるようになるといいね)
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