わたなべよしひろ_渡邉良弘

精神科医です。精神病理学と病跡学を研究しています。法医学に少し詳しいのが変わったところ…

わたなべよしひろ_渡邉良弘

精神科医です。精神病理学と病跡学を研究しています。法医学に少し詳しいのが変わったところかもしれません。現在は「教養としての病跡学」をこつこつ研究しています。ピーター・バラカンさんのラジオ番組でリクエストがよくかかっていたので洋楽好きの方は名前をご存知かもしれません。

最近の記事

「仁義なき戦い」の菅原文太

新春に池袋、新文芸坐で「仁義なき戦い」シリーズを4作品みてきた。 すでに物故された名優が次々に出演する。菅野文太以外は金子信雄がシリーズを通して生き残る。 凄惨なシーン満載の一方でおかしみもあって館内から笑いが起きる。 面白かったのは、金子信雄演じる親分を松方弘樹演じる坂井が、親分とは神輿の上に載った存在であり、担ぎ手がいなければ神輿は歩くこともできないと喝破したシーン。いわゆるお神輿モデルである。 お神輿モデルは、ヒエラルキーのある組織の、かつての日本方組織のあり方を上手く

    • 中井久夫先生のささやかな思い出 その11

      精神医学にかつて、体格と性格と精神疾患を関連づける考え方があった。 気質論といい、ドイツの精神医学者クレッチマーが提唱し、翻訳も出たので、昭和の頃に精神科医の一部が汎用した。当時は、正常な人間にもある、病気とまで言わないけれど病気をされた方と相似した言動パターンをとらえ人間理解を補うものと考えられた。 その後、科学的根拠がないことからあまり使われなくなった。   多分、先輩の先生がファクシミリで送られてきた中井久夫先生の手書きのメモを見せてくれた。 そこには、 統合失調気質

      • 中井久夫著『戦争と平和 ある観察』

        新装増補版が先日でたので、読み直してみる。 中井先生の、主にイラク戦争後の戦争と平和についての見方が記されている。 加藤陽子東大教授との対談は再読してもあまり感想に変わりがない。加藤教授をめぐっては最近では学術会議の件があり、日本の平和安全に関する見方は大きく変化した。そのことを含め、この本がエッセイと論文からなるシリーズの最後になりそうと思い、また、私は中井先生に平和が侵蝕されつつある安保法制以降について、更にお考えを伺うのは酷なことと当時思ったものだ。 自分が何かしなく

        • 飯田真・中井久夫『天才の精神病理』

          この本の題名には精神病理とあるけれど、天才の生涯を精神医学からたどる病跡学という研究分野の古典であり、版を重ね、文庫化されている。 うつ病の研究者、飯田真先生との共著で、ニュートン、ダーウィン、フロイトは飯田先生がまず書かれたよう。ダーウィンの文章は飯田先生らしく訥々と記されている。ニュートンは中井先生の書かれた経過図もありいかにも共同著作といった感じで中井先生が書いたと知らされても不思議ないほど。 この本の白眉はウィトゲンシュタインかもしれない。何度読んでも感動的な文章。

        「仁義なき戦い」の菅原文太

          あざみは食べられるのかな。

          片山虎之介著『蕎麦屋の常識・非常識』を再読。 東京に生まれ育った人と話すと、地方育ちの私とすれ違いことがあるのでトレーニング。 片山さんの本のなかで、戦時中の苦労話で、昭和16年の開戦後、食料事情が悪化して、お蕎麦屋が蕎麦を提供できず、うどんを供していたこと、都内では、あざみの葉をかたくとげがでていても食べていたこと、鶏を飼い、かぼちゃを育てて飢えをしのいでいたことが記されている。 それでは子どもを疎開させるわけである。 もちろんグルメがよんで参考になるページもあるし、

          あざみは食べられるのかな。

          中井久夫さんの本から 10

          『西欧精神医学背景史』は、何度か改訂されていて、そのたびごとに読み直した。このなかで「魔女狩り」を取り上げて精神疾患と関連づけたのは独創的であり、スケープゴート、あるいはジェンダー問題からみても基本文献かも。 確か中井先生が渡欧旅行をされて彼の地の理解ある教授が魔女狩りとの関連を、お認めにならなかったとか。当時ヨーロッパの人々に魔女狩りの話題はタブーだったよう。 この本は、一行一行が一論文になるほど濃密と評され、流し読みできない。中東からネパールの記述も仕込みのように挟まれて

          中井久夫さんの本から 10

          中井久夫先生のささやかな思い出 10

          厳しい側面を。 中井先生を東京にお招きして懇親会が企画されたとき、私に事例提示(症例検討)のお役目がまわってきたので中井先生はじめ皆様の前でご披露した。 中井先生はじめ神戸大学が雑誌・精神科治療学で三ヵ月に一度とてもためになる検討会を掲載していたので私も張り切ってもいた。 厳しいというのは、例えば、「ひそめ眉」があると申し上げた。 眉間に皺がよって気難しい表情になることを病気からくると教わっていたので、そうお話しした。すると、かなり大きな声で、普通の人間でも疲れたら眉をひそ

          中井久夫先生のささやかな思い出 10

          中井久夫先生のささやかな思い出 9

          阪神淡路大震災があった春、中井先生は古巣の東大分院神経科の研究会で講演された。お話しは主に震災体験であり、のちに成書になって読み返す。当時もっぱらリルケを読んでいると言われていた。 東京時代の思い出話しなどなかった。 その夕食歓迎会はなぜか新宿のトルコ料理店。多少豪華ではあるが、普段食べに行くお店ではないので中井先生のリクエストだったかもしれない。 ボランティアに行った中井先生を知らない医師から聴いた話しでは、まるで海軍司令官のような雰囲気で躁状態にみえた、歓迎してくれた

          中井久夫先生のささやかな思い出 9

          中井久夫先生のささやかな思い出 8

          中井久夫先生の名前を知ったのは大学生になってから。友人の勧め。その友人は内科医になり、やがて弁護士として活躍するようになった。ちなみに国会議員とは別人である。  その彼は、学生実習、いわゆるポリクリで、ある自己免疫疾患を持つ患者さんの経過を、中井先生が寛解過程論で示された図のように、発現した症状順に図示して、カルテ用紙を横に4、5枚つなぎ合わせた臨床経過図を作った。 それは学生ならではと思われたのか、新潟だからだからか、学生指導にあたる医師はかみ合わず、絢爛な経過図にはあ

          中井久夫先生のささやかな思い出 8

          中井久夫先生のささやかな思い出 7

          東京都下の病院に訪問された時のこと。 お弟子さんもおられ医局でお話しを伺う機会があった。 お写真を示され、それには東南アジアのある国の精神科医療がひどいと言っていいくらいの内容が写っていた。困ったものである。 お弟子さんの担当患者さんを診られ漢方処方かな何かアドバンスされる。 夕刻。ご友人が西武新宿線沿線に住まわれているので私の運転ではこころもとないのでお弟子さんに助手席。中井先生は後席で少し緊張されていたのか天井についた取っ手を握りしめらている。 安全運転。クルマはサ

          中井久夫先生のささやかな思い出 7

          中井久夫先生のささやかな思い出 6

          河出書房新社から出た中井久夫特集本、精神科医と詩人・作家との対談が興味深い。 とくに翻訳をめぐって。 中井先生の翻訳の代表作は、サリヴァンもさることながらコンラートの『分裂病のはじまり』である。というのも原著のドイツ語と吉永訳は研修医の輪読会でよく読まれていたので中井先生とお弟子さんの翻訳は本当に読みやすかった。 バリントの訳については、『スリルと退行』のなかのオクノフィリアー何をするにも慎重、とフィロバットー冒険心が強い、の退行2型を創案して、グループセラピストにより実用さ

          中井久夫先生のささやかな思い出 6

          中井久夫先生のささやかな思い出 5

          本当かどうか、東京都下の病院にお勤めのとき、患者さんの間で密かに医師のあだ名をつける遊びのようなものがあったという。中井先生は、自著のなかで「かめ」と言われていたという。あまりにも詳しすぎる中井先生のことである、おそらく情報源はナースから。 そのように医者にニックネームをつけているという話しは私が当時、そこに勤めているときに聞いたことがなかった。。 患者さんから聴いた中井医師評は、夜回診のときに笑顔で現れていたことと聴診器を白衣のポケットに入れていたことである。聴診器の話は

          中井久夫先生のささやかな思い出 5

          カフカ著『掟の門前』への新説

          カフカの小説の一エピソードに「掟の門前」がある。詳しい内容は成書にゆずる。これまで有名どころだとデリダかな、ずいぶんと論じられてきた。 私は、カフカが常に絶えず死を考えていたことから、これまでと全く違う、うつ病臨床からみた新説を披露したい。 掟とは、門前に立つ男を束縛するものである。私からみて、その掟とは「その人の死」ではあるまいか。大胆かな。 掟の門の向こうに何かがあるらしい、門前以外にも奥には門番が何人もいるらしい。それは人の心の奥の奥にある「死の深淵」をのぞきこむカ

          カフカ著『掟の門前』への新説

          中井久夫先生のささやかな思い出 4

          東大分院神経科の大先輩の女性医師に中井先生の思い出を伺う機会があった。とくに印象的だったのは、昭和50年代だと思われるか、中井先生が分院在籍時代に「たらこスパゲッティ」を作られたことだ。とうじナポリタンかミートソースしかない時代にである。どうやって知られたのか。 分院で中井先生の思い出を語ったのは、私を東大分院神経科にご紹介していただいた恩師、故・飯田真先生。飯田先生は、中井さんと呼びながら、新潟に特別講義で招待されたことを日本茶をいれながら懐かしそうに話された。 また、当

          中井久夫先生のささやかな思い出 4

          中井久夫先生のささやかな思い出 3

          河出書房新社から中井先生の追悼特集号ムックがでた。 こちらは本屋さんで平積み。星野弘先生の「入門」がエッセイ風に書かれている。 星野先生の文体はときに徴候的なので、私から書くことにした。星野先生の文章の中で、各地で講演され録音もされたという講演コンテンツの一つは私の講演文字起こしである。 星野弘先生と職場が一緒の時に、中井久夫先生の八王子市でのご講演の文字起こしをお見せしたことがある。講演題名は、なんと「統合失調症の精神療法」。真正面の題名で、おそらく依頼者からの要望であ

          中井久夫先生のささやかな思い出 3

          中井久夫先生のささやかな思い出 2

          雑誌「現代思想」から中井久夫さんの特集本が出た。 読むと中井先生が設計、建築に詳しいというお話がいくつか載っている。 すでにない東大分院神経科の病棟、とくに食堂と「アートコーナー」という相談室は、中井先生ならではの居心地のよい設計だったと思う。中井先生は当直以外にも泊りがけで当時急性期の患者さんを診たという伝説があった。毎週一度、病棟医長が食堂でお話しというかグループというかためになるセッションをされていた。 もうひとつは箱庭療法に使う箱庭。 中井先生は河合隼雄さんの講演

          中井久夫先生のささやかな思い出 2