わたなべよしひろ_渡邉良弘

精神科医です。精神病理学と病跡学を研究しています。法医学に少し詳しいのが変わったところ…

わたなべよしひろ_渡邉良弘

精神科医です。精神病理学と病跡学を研究しています。法医学に少し詳しいのが変わったところかもしれません。現在は「教養としての病跡学」をこつこつ研究しています。ピーター・バラカンさんのラジオ番組でリクエストがよくかかっていたので洋楽好きの方は名前をご存知かもしれません。

最近の記事

81/2 (フェデリコ・フェリーニ監督作品)

池袋新文芸坐で8月14日に81/2を見てきた。 先日亡くなったアニク・エーメ追悼特集の一本。 オードリー・ヘップバーンもそうだけれど、アニク・エーメの晩年の作品も割と見ごたえがあって「かつて若い時には相当美人だった」女優の人生を感じさせたものだ。 このフェリーニ作品の彼女は、インスピレーションの枯渇に悩む映画監督の妻という大変難しい役どころ。 全盛期のクラウディア・カルディナーレが画面にぱっと出てきただけでモノクロの画面が華やぐのと対照的に、悩み、不機嫌でためらう役だ。 とっ

    • 映画「フェーム」(1980年)

      映画「フェーム」(1980年)を映画館で観た。  公開当時の宣伝文句には映画の舞台はアル・パシーノ(アル・パチーノ)が卒業した学校とあったような記憶がある。 大スクリーンでみると、45年ぶりにみた、映画としての魅力が同じように目の前に広がる。 この映画のためのオーディションもあったわけで、アラン・パーカーの人選に興味がひかれる。また、この映画出演が生涯最高の出来という俳優がいてもいいのでは.   「学校もの」でもっとも懸念されるのは犠牲者がでることだ。映画においても教

      • 『菊と刀』再考

        すでに論じられつくした観のある『菊と刀』。土居健郎先生はじめ日本人論に造詣の深い方からの反論もごもっともである。ではあるものの、日本に誇りをもちカウチのあたまごしに聴いた日本人の無意識論(土居健郎のことである)と、言葉を異にするナラティブ(菊と刀のことである)は同じ日本人論の土俵、地平になくて当然である。 まず、第二次大戦の日本人捕虜からの聞き取りをもとにしている。 対象は男性、戦陣訓に「偶発的に」従わなかった人従えなかった人、皇道教育を受けてきた人たちである。統計にまつわ

        • 映画評 『関心領域』 

          ネタバレ注意 6月10日に話題の映画『関心領域』を立川でみてきた。「ユダヤ人絶滅の最終的解決」の悲劇と残酷を抑制的に描くとどうなるかが見事に表現されている。本心から申し上げるとあまり怖くはならず、命を懸け恐怖にかられた人たちの絶叫を聞くたびに悲しくなった。 怖いシーンはヒトラーユーゲントの服装を子供がお出かけ服を着るように来て外出していたことかな。なお壁の向こう側を描いた映画はいくつかみてきたが、ルルーシュ監督の『愛と悲しみのボレロ』が、映像による解説としても秀逸だと思う。

        81/2 (フェデリコ・フェリーニ監督作品)

          「仁義なき戦い」の菅原文太

          新春に池袋、新文芸坐で「仁義なき戦い」シリーズを4作品みてきた。 すでに物故された名優が次々に出演する。菅野文太以外は金子信雄がシリーズを通して生き残る。 凄惨なシーン満載の一方でおかしみもあって館内から笑いが起きる。 面白かったのは、金子信雄演じる親分を松方弘樹演じる坂井が、親分とは神輿の上に載った存在であり、担ぎ手がいなければ神輿は歩くこともできないと喝破したシーン。いわゆるお神輿モデルである。 お神輿モデルは、ヒエラルキーのある組織の、かつての日本方組織のあり方を上手く

          「仁義なき戦い」の菅原文太

          中井久夫先生のささやかな思い出 その11

          精神医学にかつて、体格と性格と精神疾患を関連づける考え方があった。 気質論といい、ドイツの精神医学者クレッチマーが提唱し、翻訳も出たので、昭和の頃に精神科医の一部が汎用した。当時は、正常な人間にもある、病気とまで言わないけれど病気をされた方と相似した言動パターンをとらえ人間理解を補うものと考えられた。 その後、科学的根拠がないことからあまり使われなくなった。   多分、先輩の先生がファクシミリで送られてきた中井久夫先生の手書きのメモを見せてくれた。 そこには、 統合失調気質

          中井久夫先生のささやかな思い出 その11

          中井久夫著『戦争と平和 ある観察』

          新装増補版が先日でたので、読み直してみる。 中井先生の、主にイラク戦争後の戦争と平和についての見方が記されている。 加藤陽子東大教授との対談は再読してもあまり感想に変わりがない。加藤教授をめぐっては最近では学術会議の件があり、日本の平和安全に関する見方は大きく変化した。そのことを含め、この本がエッセイと論文からなるシリーズの最後になりそうと思い、また、私は中井先生に平和が侵蝕されつつある安保法制以降について、更にお考えを伺うのは酷なことと当時思ったものだ。 自分が何かしなく

          中井久夫著『戦争と平和 ある観察』

          飯田真・中井久夫『天才の精神病理』

          この本の題名には精神病理とあるけれど、天才の生涯を精神医学からたどる病跡学という研究分野の古典であり、版を重ね、文庫化されている。 うつ病の研究者、飯田真先生との共著で、ニュートン、ダーウィン、フロイトは飯田先生がまず書かれたよう。ダーウィンの文章は飯田先生らしく訥々と記されている。ニュートンは中井先生の書かれた経過図もありいかにも共同著作といった感じで中井先生が書いたと知らされても不思議ないほど。 この本の白眉はウィトゲンシュタインかもしれない。何度読んでも感動的な文章。

          飯田真・中井久夫『天才の精神病理』

          あざみは食べられるのかな。

          片山虎之介著『蕎麦屋の常識・非常識』を再読。 東京に生まれ育った人と話すと、地方育ちの私とすれ違いことがあるのでトレーニング。 片山さんの本のなかで、戦時中の苦労話で、昭和16年の開戦後、食料事情が悪化して、お蕎麦屋が蕎麦を提供できず、うどんを供していたこと、都内では、あざみの葉をかたくとげがでていても食べていたこと、鶏を飼い、かぼちゃを育てて飢えをしのいでいたことが記されている。 それでは子どもを疎開させるわけである。 もちろんグルメがよんで参考になるページもあるし、

          あざみは食べられるのかな。

          中井久夫さんの本から 10

          『西欧精神医学背景史』は、何度か改訂されていて、そのたびごとに読み直した。このなかで「魔女狩り」を取り上げて精神疾患と関連づけたのは独創的であり、スケープゴート、あるいはジェンダー問題からみても基本文献かも。 確か中井先生が渡欧旅行をされて彼の地の理解ある教授が魔女狩りとの関連を、お認めにならなかったとか。当時ヨーロッパの人々に魔女狩りの話題はタブーだったよう。 この本は、一行一行が一論文になるほど濃密と評され、流し読みできない。中東からネパールの記述も仕込みのように挟まれて

          中井久夫さんの本から 10

          中井久夫先生のささやかな思い出 10

          厳しい側面を。 中井先生を東京にお招きして懇親会が企画されたとき、私に事例提示(症例検討)のお役目がまわってきたので中井先生はじめ皆様の前でご披露した。 中井先生はじめ神戸大学が雑誌・精神科治療学で三ヵ月に一度とてもためになる検討会を掲載していたので私も張り切ってもいた。 厳しいというのは、例えば、「ひそめ眉」があると申し上げた。 眉間に皺がよって気難しい表情になることを病気からくると教わっていたので、そうお話しした。すると、かなり大きな声で、普通の人間でも疲れたら眉をひそ

          中井久夫先生のささやかな思い出 10

          中井久夫先生のささやかな思い出 9

          阪神淡路大震災があった春、中井先生は古巣の東大分院神経科の研究会で講演された。お話しは主に震災体験であり、のちに成書になって読み返す。当時もっぱらリルケを読んでいると言われていた。 東京時代の思い出話しなどなかった。 その夕食歓迎会はなぜか新宿のトルコ料理店。多少豪華ではあるが、普段食べに行くお店ではないので中井先生のリクエストだったかもしれない。 ボランティアに行った中井先生を知らない医師から聴いた話しでは、まるで海軍司令官のような雰囲気で躁状態にみえた、歓迎してくれた

          中井久夫先生のささやかな思い出 9

          中井久夫先生のささやかな思い出 8

          中井久夫先生の名前を知ったのは大学生になってから。友人の勧め。その友人は内科医になり、やがて弁護士として活躍するようになった。ちなみに国会議員とは別人である。  その彼は、学生実習、いわゆるポリクリで、ある自己免疫疾患を持つ患者さんの経過を、中井先生が寛解過程論で示された図のように、発現した症状順に図示して、カルテ用紙を横に4、5枚つなぎ合わせた臨床経過図を作った。 それは学生ならではと思われたのか、新潟だからだからか、学生指導にあたる医師はかみ合わず、絢爛な経過図にはあ

          中井久夫先生のささやかな思い出 8

          中井久夫先生のささやかな思い出 7

          東京都下の病院に訪問された時のこと。 お弟子さんもおられ医局でお話しを伺う機会があった。 お写真を示され、それには東南アジアのある国の精神科医療がひどいと言っていいくらいの内容が写っていた。困ったものである。 お弟子さんの担当患者さんを診られ漢方処方かな何かアドバンスされる。 夕刻。ご友人が西武新宿線沿線に住まわれているので私の運転ではこころもとないのでお弟子さんに助手席。中井先生は後席で少し緊張されていたのか天井についた取っ手を握りしめらている。 安全運転。クルマはサ

          中井久夫先生のささやかな思い出 7

          中井久夫先生のささやかな思い出 6

          河出書房新社から出た中井久夫特集本、精神科医と詩人・作家との対談が興味深い。 とくに翻訳をめぐって。 中井先生の翻訳の代表作は、サリヴァンもさることながらコンラートの『分裂病のはじまり』である。というのも原著のドイツ語と吉永訳は研修医の輪読会でよく読まれていたので中井先生とお弟子さんの翻訳は本当に読みやすかった。 バリントの訳については、『スリルと退行』のなかのオクノフィリアー何をするにも慎重、とフィロバットー冒険心が強い、の退行2型を創案して、グループセラピストにより実用さ

          中井久夫先生のささやかな思い出 6

          中井久夫先生のささやかな思い出 5

          本当かどうか、東京都下の病院にお勤めのとき、患者さんの間で密かに医師のあだ名をつける遊びのようなものがあったという。中井先生は、自著のなかで「かめ」と言われていたという。あまりにも詳しすぎる中井先生のことである、おそらく情報源はナースから。 そのように医者にニックネームをつけているという話しは私が当時、そこに勤めているときに聞いたことがなかった。。 患者さんから聴いた中井医師評は、夜回診のときに笑顔で現れていたことと聴診器を白衣のポケットに入れていたことである。聴診器の話は

          中井久夫先生のささやかな思い出 5