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81/2 (フェデリコ・フェリーニ監督作品)

池袋新文芸坐で8月14日に81/2を見てきた。
先日亡くなったアニク・エーメ追悼特集の一本。
オードリー・ヘップバーンもそうだけれど、アニク・エーメの晩年の作品も割と見ごたえがあって「かつて若い時には相当美人だった」女優の人生を感じさせたものだ。
このフェリーニ作品の彼女は、インスピレーションの枯渇に悩む映画監督の妻という大変難しい役どころ。
全盛期のクラウディア・カルディナーレが画面にぱっと出てきただけでモノクロの画面が華やぐのと対照的に、悩み、不機嫌でためらう役だ。
とってもきれい、おしゃれで洗練されていて。フランシス・レイ監督映画とは別だなと感じさせる。

デジタルリマスターされた映像は、意外にも素人目でピントがあまいときが散見され、フィルムの傷みからかと思った。
アニク・エーメは顔の肌理まで映し出されて、21世紀の映像技術は「見えすぎ」かと思った。
それは同じ日に見た『真夏の夜のジャズ』のアニタ・オディにもいえることだ。

さて、映画は、フェリーニを思わせる監督グイドの40歳代の「創造の病い」とそこからの死と再生がテーマとずっと考えていたが、今回、最終盤でグイドが連れてこられたチネチッタの巨大セットシーン、いくつも「死のサイン」がちりばめられているのに気がついた。
追いつめられる状況、遅れに遅れた仕事ぶり、高まる焦りと混乱にくわえて、妻役のアニク・エーメが花嫁姿で登場してくる。
これは危ない。白い花嫁衣裳は時と場合により自死のサイン。
現に、祝祭的な雰囲気で一見元気そうな人が夢で花嫁衣裳をまとっていたことを担当医師に報告した翌日に亡くなった事実がある。
映画ではその後の大団円もみな白い衣装で、使わなくなるセットのまわりを踊るのであるが、それはサーカス的で調和的な大団円という見方ができる一方で、この世のものではない世界が開けたのだと思われた。
映像の力を目にして感動したけどね。

おまけ 久しぶりに映画館で「 はっかにぶんのいち の上映がはじまります」というアナウンスを聴いて胸がすく思いがした。



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