ようやく自信がついてきた。
自信ってつけようと思ってつけるものじゃなくて、夢中になって一生懸命やっていたら気づいたらついているものなんだと思う。
今日の投稿で、毎日noteを投稿し始めて500日を迎える。
もう500日か、まだ500日か、たかが500日か、されど500日か。
強いて言うならその全部の感覚だ。
500日前の自分と今の自分。
一体どれだけの変化を遂げてきただろうか。
文章の書き方だったり、構成だったり、内容だったり。そういった部分の変化は多少あるのかもしれない。
ありがたいことに最近、文章を褒めていただける機会が増えた。なんだか照れ臭い気持ちがするが、ものすごく嬉しい。
だけどその変化って自分ではあんまり気づかない。
一番近くで自分を見ているが、近すぎるがゆえに気づかないことってある。
それでも自分でも気づく変化がある。
それが「自信」だ。ようやく自信がついてきたな、と感じる。
かつての自分はずっと腹の中に何かを抱えていた。
現状に対してのモヤモヤ、だけどどうしたらいいかわからないムズムズ、何か変えたいけど何をしたらいいかわからなくて、それでも想うところはあって。
そんな思いを発信する場所として選んだのがnoteだった。
自分の想いをアウトプットする場所として、共感してくれる人を探す場所として。
だけど自分の言葉に文章に想いに自信はなかった。
そして恥ずかしかった。
「意識高い」と思われるのが怖かった。
だから知り合いには見られないように細々と始めた。
細々と、まさに「0」からのスタートだったので、最初なんか本当に誰にも見られなかった。
フォロワーさん100人に到達したのも、毎日noteを書き始めて130日目。結構の遅咲きだ。でも心が折れることは一度もなかった。むしろ書けば書くほど幹がどんどん太くなっていった。
自分は自分の記事とともに成長していった気がする。
記事を書き重ねていくうちに、自分の想いが強固されていく。そして自分自身の大切にしたい考え方や価値観というのが固まっていった。
書いて書いて書き続けて。
別に誰に見てほしいとかではなく自分のために書いて。気づけばそんな思いに、自分の言葉に共感してくれる方が増えていき、フォロワーさんも増えていった。
かつて「知り合いには見られたくない」という思いでこっそり始めたnote。今では結構の自分のことを知ってくれている人が、自分のnoteを読んでくれている。
昔の自分なら恥ずかしくてしょうがなかったと思う。
だけどかつての自分と違う。
もう恥ずかしくはない(むず痒さはあるけど)。
自信を持って「どうぞ見てください」と言える。
かつての自分と何が違うのか。
自分の言葉に覚悟と責任を持てるようになったから。
自分で自分の考えを理解できるようになったから。
そして何より、自分の言葉に「自信」を持ったから。
ただ、この「自信」はつけたいからついた、というよりは気づいたらついていた、の方が表現として正しい。
目の前のことに必死で、目の前の一記事一記事にに全力を注いで書き続けて結果気づいたらそれが自信になっていた、という感じ。
なんか自分の人生と似ている気もしている。
最初から自信なんてなくて。むしろどっちかというと自分は不器用な方で。
上手くいかなくて上手くいかなくて、だけど出来ないまま終わるのは悔しくて。
「頑張れば自分はいつか出来るようになるんだ」
という謎のプライドは持っていた。
正直先のことを考えて生きたことなんて一度もなくて、今を生きるのに必死で、今の「出来ない」を克服することに必死で、今を全力で生きることの積み重ねで「自分」という人間が作り上げられていった。
そして今を全力で生きたおかげで、成功体験も積み重ね、気づけば自分に自信がついていった。
これまでも、これからも結局は「今」を全力で生きるしかないんだな、と思う。
後先のことを考えず、目の前のことを全力で頑張る。いや、頑張り続ける。
そうやって何かに継続して費やし多時間の経験が、やがて自信となる。
そしてその自信が、自分の人生をつくっていく。
「人生の目的は?」
と聞かれた時に、大抵何かは答える。
だけどあまり大きな声では言えないが、究極、人生の目的はないと思っている。
なんだか目的を決めちゃうと、じゃあそれを叶えた時に人生は終わりか?と言われるとそうじゃない気がしちゃう。
むしろ正直極端だが、「いつ死んでもいい」と思っている。
誤解の内容に言えばいつ死んでも後悔のない選択を心掛けている。
それを実現するのって、結局今を全力で頑張る、目の前のことに夢中になるしかない、ということにたどり着く。
そう考えると、自分がnoteで得た自信のつき方は、自分の人生の歩み方そのものだったんだなと思う。
だからこれからも自分の人生の一部としてnoteは書き続けたい。
そして「自信」ある文章を、多くの人に届けたい。自分自身に届けたい。
それが終わりのない「人生の目的」だ。
今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!