「自分の学び方」=真似る+オリジナル
ふと「自分の学び方って何なんだろう?」そう思った。
自分はどのように学び、どのように習得しているのか。
ここにおける「学び」とは世間一般の考える”勉強”という枠には収まらない。
何かの行動、プレー、考え方など、それらすべて自分が身につけたいことに対しての学びへのアプローチ。
そう考えると、
「あ、自分って”真似る”天才なのかもしれない」
そう思えてきた。
これは別に「天才」という言葉を使って調子に乗っているわけではない、、、、はず(笑)
こんな具体例がある。
過去にボウリングに行った。特別ボウリングは上手いわけではないし、ましてやカーブなんて投げられなかった。直球勝負のみ。
でも一緒に投げていた先輩がカーブをかけている姿を見て、
「あ、自分もそれやりたい」
となった。
そうなったときの集中力は自分でも自負がある。
その先輩の投げている姿を見てそれを真似してみる。
だけど最初はガーターの連続。
本当の天才だったら一度見ただけで完璧にこなすのかもしれない。
だけど出来ないまま終わるのが悔しいのが「凡人の天才」である自分。
先輩の姿を見て、真似して、ガーター。
先輩の姿を見て、真似して、ガーター。
そうやって7球くらい投げたあとの8球目。
ガーターレーンに向かって進むボールはガーターに落ちずにカーブがかかり、なんとストライク。
習得したのだ。
何より自分が驚いた。だけど自分の中で繊細な力加減や立ち位置などどうしてそうなったのかは言語化出来ていた。
自分なりのオリジナルな感覚にまで落とし込めていた。
見て学んで、投げて試して習得する。
そのスパンを短くする。
自分自身の「学び方」のルーティーンを再認識した瞬間でもあった。
振り返れば自分自身の学び方はいつもそうだった。
勉強だって、0から考えるよりは一度答えを見ながら解いて、仕組みや考え方を学び、それを応用していた(最初から答えを見るのがただしいのかはわからないが)。
野球部時代もプロ野球選手やメジャーリーガーのプレーしている姿を見て、そのプレーをイメージしながら自分の動きやすいプレースタイルにアレンジしていった。
このnoteだってそう。
最初は自分独自でやっていたがあまり上手くいかなくて。
まずは自分が読んでいて「いいな」と思う方の文章を参考にしながら真似をして、試行錯誤を重ねながら独自の今のスタイルに落ち着いている。
基本的にいつも「真似」から始まっているのだ。
だけど大事なのは、真似で終わらないこと。
真似で始まり、真似で終わっては真似をした対象には一生勝てない。
(言葉がくどくなって申し訳ない)
いかに自分のオリジナルにまで持っていけるかが最重要だと思っている。
世の中には上手くいっているものを真似してみたけど、上手くいかなかった、というケースってザラにある。
でもそりゃそうだと思っている。
ただ動きや考えを真似しただけでは、「どこに気を付けるべきなのか」であったり「意識していること」だったりという”細かい部分”への言語化に欠けている。
そしてその細かい部分への言語化、配慮があるかないかが、実は大きな差を生むと考える。
だからこそオリジナルにまで落とし込む必要があるのだ。
自分の納得いくかたちで言語化出来ている状態にまで持っていく必要があるのだ。
それが成功確率をあげ、再現性を生むと自分としては考える。
自分自身の学び方=真似る+オリジナル
これに尽きる。
学ぶは真似る
という言葉があるように、始めは真似ることから入る。そして最初からいきなりオリジナルが生まれるわけではない。ましてや最初から完璧に真似られるわけでもない。
失敗して失敗して失敗して。
ああでもないこうでもない、どこが違うんだ?、どこに気を付けているんだ?と試行錯誤して、その中で自分なりのアプローチを見つける。
恐らく今後も、この「学び方」が自分自身を救ってくれるし、現状に満足させない状態に追い込んでくれるのだろう。
嬉しいような、恐ろしいような(笑)
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