僕はまだ、悩んでいないのかもしれない。
「○○さんって、悩むことあるの?」
人づてにそう言われているのを聞いたことがある。
最初にそれを聞いたときは結構グサッときた。
「え、自分だって悩んだことあるよ。なんなら今悩んでることも、、、」
自分の人生の中で大切にしている言葉として、「悩むことを諦めない」というものがある。
過去、今、未来。環境、展望、見られ方、行動。悩みを挙げれば多岐にわたる。
だけどどんなに悩んだとしても、簡単に折り合いをつけて終わらせようとするのではなく、最後までしっかりと向き合う。それが自分に対しても、その対象の物事や人に対しても誠実な対応なんじゃないか、って。
そんな思いがある中で、「悩むことあるの?」と言われていると知った時は、少しグサッときた。悩むなかで強くなっているから、自分の成長の原点は悩みだから。
でも一度立ち止まって、冷静に言語化してみた。「悩むことあるの?」の言語化を。そうしたら、これはむしろ”褒め言葉”かつ”伸びしろの言葉”なんじゃないかと思った。
”褒め言葉”としての捉え方は、「悩んでいるように見えない」ということ。
たしかに「悩む」って一般的には少しマイナスなイメージがある。気分が下がるというか、考え込むというか。それが悩むということなんだろうけど、楽しく悩むとか笑いながら悩むとかはあんまり聞かない。
だからどうしても暗い雰囲気になってしまう。
暗い雰囲気になってしまうと、集まるものも集まらないと思う。それは人とかチャンスとか運気とか。
明るい人や前向きな人にこそそういった集まるものもは集まるはず。
そういった観点から、「悩んでいるように見えない」って実はスーパー褒め言葉なんじゃないかという、頭お花畑思考の解釈をしてみた。
もう1つ、”伸びしろの言葉”的な解釈。こっちの方が真実に近いと思う。
それは、
「君が悩んでいると思っていることは、まだまだ大したことじゃないよ」
っていうこと。
きっと先人たちからすれば、今の自分が悩んでいることは「あー、自分にもそんな時期があった」という過去の苦い、もしくは甘酸っぱい思い出だ。
その悩みを乗り越えて先へ進んでいった。そしてそんなの思い悩むほど重いものじゃないということを知っている。だから恐らく「そんなの悩みごとの部類に入らない」と思うんだろう。
もしかしたら自分は本当に悩んでいるのかもしれない。
その悩みを見てみぬふりをして、無かったことにして、「こんなのは悩みじゃない」と思い込んで突き進むのは時に危険を伴うこともある。だから自分の心と身体との対話は常に意識しておかないといけない。自分からのサインには敏感になっておかないといけない。
だけどその一方で、「今の自分の悩みは、目の前にしてみると大きく見えるけど、実はちっぽけな悩みなんだ」、それくらいの余裕も持ち合わせたい。
僕まだ、悩んでいないのかもしれない。
今まで「悩んだ」と思っていたのはまだ序章に過ぎなかったのかもしれない。実はちっぽけなことだったのかもしれない。
それまでの自分が見てきた世界の中では超特大級の悩みでも、長い人生の一部分と捉えると実はたいしたことないのかもしれない。
だからもっとドーンと構えて、
「かかってこい」
それくらいの気持ちを持って進んでいきたい。うろたえる必要はないし、立ち止まる必要もない、そして恐れる必要もない。
ただただ目の前にきた壁を一つずつ越えていく。乗り越えられる壁だと思って。
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