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「今」をもう少し頑張ってみる

今の記憶を持ったまま、過去に戻ってみたい。

そう思ったことはないだろうか。

酸いも甘いも経験してきた、世の中の理不尽も残酷さも、はたまた綺麗な部分も経験してきた。そんな今の知識を持ったまま、「あの頃」に戻ってみたいと思ったことはないだろうか。

「小学校の頃に戻ってもっと勉強しておけばよかった」
「中学校の頃に戻ってもっと恋愛しておけばよかった」
「高校の頃に戻ってもっと部活に打ち込んでおけばよかった」

きっとその当時はそれが全力だったんだと思う。

だから過去の自分を否定するつもりはないんだけど、今思えば「もっと時間を有効的に使えたな~」だとか「もっと自分を追い込めたな~」だとか「もっといろんなことに挑戦できたな~」といった”もっと”の後悔が出てくる。

知らず知らずのうちにどこかでセーブをしていたんだろう。

もしくはその先長く続く時間を考えれば、そのときはもっと打ち込んでもよかったという想いからだろう。

だけど当時の自分はそんなことに気づかない。

だって未来のことなんか考えていないから。今過ごしている時間が、自分にとっての全てだと思っているから。しょうがない。

だから今、大人になって感じている想いで過去に戻ったらもっとうまくやれるのにな、という衝動に駆られるんだと思う。


あ、でも私の場合、高校の野球部時代には戻りたくない。もうあんなキツイ練習耐えられない(笑)




そんなことを考えていたら、先日ある先輩の方がこんな話をしていた。

「今やりたいと思ったことは、多少辛いかな、難しいかなと思ってもやった方がいい。やらなかった後悔はいつまでも残るよ。私も前にそう言われて、今実際自分もそう感じている」

その言葉にはすごく重みがあった。

きっと自分より多くの人の言葉に触れてきて、自分より多くの経験をしてきて感じた言葉だったからなんだろう。

すごくスッと入ってきた。

そして考えさせられた。

「自分はどれだけ”今”を頑張れているんだろう」

って。

気持ちとしては頑張っているつもりだ。だけど「じゃあそれが限界か?」と聞かれると少し黙ってしまうかもしれない。

どこかセーブしてしまっているのかもしれない。これはちょっとキツイなって諦めてしまっているのかもしれない。本能的に。

だけどその瞬間に頑張らなかった後悔は、あとから取り戻すことが出来ない。結局所詮過去は過去で、未来を作っていくのは「今」の積み重ねだから。


正直身体と心が一致していない自分にモヤモヤしたことはあった。

身体は元気だけどメンタル的にもうひと踏ん張りできないだとか、周りと同じ速度で走れないとか。

逆に気持ちはめっちゃ前向きだけど、身体がついてこない、どこかかばってしまうとか。

確かに本当に自分が「厳しい」状態のときは無理をする必要はない。時に逃げるという選択も必要。まさに、逃げるは恥だが役に立つ。

だけどその「逃げ」が自分の甘えだとしたら、自分の妥協だとしたらきっとその先後悔するだろう。

自分は過去の自分の選択を否定するつもりはない。
だけど自分のことを好きでいられる選択をしていきたい。

矛盾しているようだが、私の中ではつながっている。


もっと「今」を頑張る。

一人で頑張れなかったら仲間を、先輩を、後輩を、家族を頼る。

一つの道で頑張れなかったら複数の道を持つ。

やってみたいと思ったことは例えそれが小さな一歩だとしてもやってみる。

やった方がいいかなと思ったことは例えそれが無駄足だとしてもやっておく。

そうやって自分が自分のことを好きでいられ続ける選択を、将来堂々と「過去にやり残してきたことはない」といえる選択をしていきたい。


それが「今」の自分が将来の自分に対してしてあげられる投資だから。




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