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「観察するけど興味は薄い」から「興味があるから観察する」に変わるまで

子どもから大人になる過程で人それぞれいろんな変化があると思う。

年齢が上がれば必然的に変わるものもあれば、積み重ねてきた経験によって変わるものもあり、思考の変化によって変わるものもある。

全員にとって共通している変化もあれば、人それぞれによってばらつきのある変化もある。


人それぞれによってばらつきのある変化で、私自身が一番「変わったな」と感じる部分は ' 人への興味 ' だ。

早速矛盾するようだが、人を見るということは小さいころからたくさんしていた。ただ見る=顔色をうかがう、だった。子どもの頃の自分はめちゃくちゃ人の顔色をうかがっていた。いや、当時は「顔色をうかがう」なんていう意識はないが、常にいろんな人のことを観察していた。

「今怒ってるな」「今機嫌悪いな」

そんなことを勘付くスキルばかりが身についた。それが自分を守るために必要だった。どうすれば波風立てず、「いい子」でいられるかが最大ミッションだった。

興味があるから人を見るんじゃなく、自分を守るために人を見る、だった。


だけど徐々に潮目が変わった。

これまでも何度か記事に書いてきたけど、変わるきっかけは「自分と向き合い始めた」からだろう。じゃあなんでそれまで自分と向き合えずにいて、向き合い始められたかというと「1人の時間が増えたから」だと思っている。それが大学生の頃だった。

やっぱり誰かと暮らしていると自分だけの時間ってつくるのが簡単ではない。それにそれまでの固定サイクルに加え、固定観念もついてくる。無理やりにでも1人になる時間が必要だった。

大学にいって1人の時間が増えて、自分のことを知り始めて、自分がどんなこと考えているやつなのか向き合うようになった。思っている以上に実は変わってるやつだとわかった。

自分のことでもまだまだ知らないことこんなにあるんだ!となって、少しずつ自分以外の人にも興味が出てきた。

ちょうどそのタイミングで社会人になった。


就職は障害福祉の仕事に就いた。

最初から目指していたわけじゃない。
なんなら就活がスムーズにいっていたら関わることのなかった業界だったに違いない。でも今となってはこの道で良かったと思ってる。むしろ流れ的に一番の正解だった気がする。

障害福祉というのはまさに’人’と関わるお仕事だ。

「支援をする」って支援をする側が主体じゃない。傍から見てると支援する側が主体だと思ってたけど、そうじゃない。相手がいて、相手に合わせた・相手に必要な支援をすることが求められる。そうなってくると、

「あなたは何者か」

というのを知らないといけない。1人1人にとって伝わるアプローチは違うから。「こうれすれば100%伝わる」なんてものはないから。

もちろん相手のことが100%わかるわけじゃない。わかったと思ってもいけない。ただわかろう、と考えることに意味がある。

すると、大学時代までの流れも相まって人を観察するのがすごく楽しくなった。それは顔色をうかがう観察じゃない。「あなたを知りたい」という観察。自分を知ったからこそ他人に興味がわき、それが仕事になった。

そして今、また新たなステージに立っている。


広報やマーケティングという仕事はまた新しいステージだと思う。

自分を知り、相手を知り、それらで知ったものたちを通じそれをまだ知らない人たちに伝えていく役割である。なおかつ一方向的に伝えるのではなく、こういった人たちにはこういったアプローチで、こういった人たちにはこういったアプローチで、と相手に応じた伝え方が求められてくる。

まさに応用だ。

だからもっともっと知っていかなきゃいけない。
いろんな人に触れていって、いろんな人の考えを知っていかなきゃいけない。それはすごく楽しいこと。

子どもから大人になっての子の成長は、自分でも誇らしい。


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