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「ケーススタディ」か「自分事」か

「どういう理想があるかのかがないと、フィードバックしてもケーススタディだけになる。選手としての生きざまを考えていこう」

あるサッカーチームの監督がインタビューにそう答えていた。

これってスポーツに限らず、仕事だったり、日常だったりいろんな場面に当てはまることなんだろうなと感じる。

”理想を持つことの大切さ”

それは大人になっていくうちに気付いてきた。

「理想なんかないしさ~」

が口癖だったから。理想を追い求めてもそれが実現しなかったときのことを考えて、理想を持つことから逃げていたのかもしれない。

でも大人になってこの考えが変わったのは、「理想」に対しての解釈が変わったから。

小さいころ描いていた理想って「こうなれたらいいな~」という、多少距離のあるものだった。でも違う。理想って”なりたい姿”だ。自分が今いる道の延長線上にあるものだ。

これのいいところって、道が見えていることだと思う。
この道をずっと行けば理想にたどり着くって。

逆に理想がない状態ってどういう状態か。
”今ここ”しか見えていない状態だと思っている。

もちろん今に集中することは大切だ。
だけどそれと、「今しか見ていない」ことって違う気がする。


冒頭の言葉に戻る。

大人になればなるほど、自分の行った何かに対してフィードバックをいただく機会が増えてくる。何なら自分がフィードバックをする機会も出てくる。

このフィードバックをどのように受け止めるかで、その後って180°変わってくる。そこの分け目となるのが、

自分が描く理想があるのか、ないのか

なんだろうなと。


理想がある人は、相手のフィードバックを”自分事”にできる。

自分に対して言われていることであれば当然のこと、自分に直接向けられていない、全体に対してのフィードバックでも自分が描く理想の道のりとそのフィードバックに合致する部分はないか、”自分事”できると思う。

それは自分が進む道が決まっているから。


一方で理想がない人は、相手のフィードバックが”ケーススタディ”になる。

「確かに学びになるな、参考になるな」とは思いながらも「そんな考えもあるか」という距離感になってしまう。そういった距離感になると、途端に話が身に入らなくなってくる。

自分と距離があるんだから。他人事だから。


自分がどうなりたいか、
自分がどうありたいか、
そうやって自分の生き様をしっかりと持つことが、
様々な意見や出来事に対して”自分事化”できるようになる第一歩だと思う。

そしてそこからようやくフィードバックの受け取り方が変わってくるんじゃないだろうか。


結局は”自分”という軸がしっかりしていなきゃいけないということ。
それは別に1本の軸にしなきゃいけない、というわけではないはず。
迷っててもいいし、変わってもいい。
ただ、「今の自分はどんな感じ?」という問いに対して自分なりの回答ができる状態は常に持っておきたい。


それが持ててるかどうかが、
「ケーススタディ」になるか、「自分事」になるかの分かれ道かなと。

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