見出し画像

「100人分の1位を複数持つ」ことにより生まれる価値

すごいな、と思う人はやはり考えている量がものすごい。

そして考えている量がものすごい人は、とても言葉に説得力があり、気づいたら世界に引き込まれている。

最近「あ、これ確かにそうだ」、そう思える考え方に出会った。

それが、

「100分の1位を複数持つ」

ということ。

一体どういうことかわかるだろうか。自分なりに解説してみたい。


・・・

世の中に「プロ○○」と呼ばれる人がいる。

わかりやすい例でいえば「プロ野球選手」。
じゃあプロ野球選手って誰でもなろうと思えばなれるのか、、、というとそんな甘い世界ではない。

恐らく何千、何万分の1の確率でなれるかどうかという世界線。


確かにその道を究め、何千、何万分の1位の実力をつけ、その道で生きていくというのは理想的な話なのかもしれない。

しかし果たしてそれは現実的だろうか?

もちろん、その何千、何万分の1位になれる可能性にかけて本気で目指す時期もあってもいい。

だけどそこにいつまでもしがみつくのは非効率だし、現実的ではない。

そんな時、上記の言葉が響く。

「100分の1位を複数持つ」

「自分の周り100人の中だったらこれは1位だ」、そう思えるものを複数持つということ。

100人中の1位だったら、なんだか現実味を帯びてきた気がする。

ハードルが下がった気がする。

肝心なのは「複数持つ」ということ。

一つだけなら100分の1の価値だけど、2つ持つことによってその価値は10000分の1となり、3つ持つことによって、、、、。

こんな単純計算ではないかもしれないけど、それでも100分の1を複数持てればそれだけで存在価値ってものすごく上がってくる。


「承認ベース」の存在価値には疑問があるが、自分に自信を持つための存在価値はどんどんつけていくべきだと思っている。

自信は行動を変え、発言を変える。そして前向きになる。

そして何より、出来ないより出来ることが多くあった方が絶対いい


自分自身の成長の定義は、「周囲に貢献できる手段を増やすこと」である。


”めちゃくちゃ出来る”が1個だけよりも、”人よりちょっと出来る”がたくさんあった方が、自分の成長の定義にもマッチしている。


よく就活をしていたときは、

「市場価値が高い人間になる」

といった言葉を企業側からも、学生側からも耳にしたことがある。

その言葉の綺麗さに便乗し、自分も使ったことがある。しかしあんまりイメージはし切れていなかった。

「市場価値って何なん?」


それは社会に求められていることが出来ることなのか。
何か一つの分野でとびぬけた力を持っていることなのか。

恐らくそのどちらも正解なのかもしれない。

だけど自分にとっての正解は、「100人分の1位の実力がある分野を複数持っていること」だと今回この言葉を聞いて痛感した。

なぜならそれが一番腑に落ちたから。そして現実的だったから。


自分のことを振り返ってみたい。

これは単純な自己評価であり、客観的な視点は皆無だが、「文章を書く、考えをまとめる」ということに関してはすでに”100分の1位”になれていると思っている(異論は認める)。

noteを通じて毎日のようにアウトプットしてきた成果であり、ありがたいことに多くの方に「見ているよ」と言っていただける機会も増えた。

これから大事なのは現状で満足しないこと

そしてnoteに固執しすぎないこと(投稿は続けていきます)。

新たなステージ
に目を向けていかないといけない。

それがデザインなのか、財務なのか、アイデア力なのか、営業力なのか、そこの道筋は探り途中だが。

文章力×○○×○○×・・・=存在価値の高い自分

を目指して、日々挑戦をしていく。


新しいことに挑戦しながら既存の力もアップデートしていき、全体的に底上げしていくのが、「当たり前」の基準を上げていくのが理想だ。


一体数年後の自分は、「何分の1の価値」の存在になれているのか今から楽しみである。

自分自身を鼓舞していきたい。


今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!