想像から創造、そして「想造」へ
何かを想像している時ってめちゃくちゃワクワクする。
想像の可能性は無限大だ。
そこに制限はない。お金は要らない、必要なものもない、そして限界もない。頭一つで出来る。
「もしも○○だったらな」
とか、
「○○できれば△△出来るのにな」
などとイメージが膨らんでいく。それが本当に出来るかどうかは別として。
”イメージ出来ないものは実現できない”論者として、想像することの重要性はものすごく感じている。
でも使い方を間違ってしまえば想像は危険だ。
だって想像するだけでお腹いっぱいになってしまうことがあるから。想像するだけで出来た気持ちになってしまうから。
○○できたらいいな、「いいな」で終わってしまうことがあるから。
自分の中で忘れたくないこととして、想像することは大切だけど、想像するだけでは何も生まれない。だってそこにカタチはないから。空想にすぎないから。
想像したものが、実際に「創造」=創り出される、ことによって初めてそこに価値が生まれる。
だけどきっと多くの人が創造までたどり着かず、想像で満足するか、折り合いをつけて諦めてしまうんじゃないか、と思っている。
だから「行動できるか、どうか」がいろんな場面で話題に挙げられていて、差が生まれる部分とされているんじゃないだろうか。
頭の中に思い浮かべイメージである想像。
何もない部分から新しいものを生み出す創造。
何を得るかではなく、何を残すかという部分に人生の重きを置くのであれば「創造」力を磨くに越したことはない。
そして想像から創造まで当たり前に出来るようになった時、最後に目指すのは「想造」だ。
想造、なんていう言葉があるわけではない。造語だ。だけどなんとなく意味はわかっていただけるんじゃないだろうか。
「頭の中でイメージたものを創り上げる」
ということ。まるで「もしもボックス」の世界だ。
「もしも○○になったら」
その一言ですべてが実現する。「想造」とはそれを自分の手で実現する。それもあたかも当たり前のように。
それだけの力をつけることが出来るようになったら、そう考えるだけでなんだかワクワクする。
……いかんいかん、このままだとまた想像で終わってしまう。
この理想を想像で終わらせないためにも、行動につなげ、創造していく。
それは並みの量じゃ到底実現できない。何倍も想像して、何倍も行動する。結果何倍も創造していく。その繰り返しだと思っている。
大変かもしれないけど、大変さを味わってでも目指してみたい領域ではある。「想造」できる人間を。
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