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「好きなものは好きと言っておく」

最近聞いて、めちゃくちゃいいなと思った言葉がある。

それが、

「好きなものは好きと言っておく」


一見当たり前のことのようにも聞こえるが、これって結構難しい。

周りからの見られ方だったり、自分のプライドだったりが邪魔をしてどこかクールぶっている方がカッコいい、好きになるより好かれる方がカッコいいみたいな印象もある。

「察する」文化も根強くある。

自分自身過去にそんな記事も書いた。


だけど上の言葉と出会って、改めてこれからは(これまでも、かもしれないが)「好き」と言ったもん勝ちだな、そう思った。

でも言語化はし切れていない。
だからこの場を通じてやってみたい。

そこで「好き」と言うことへの効果を自分なりに考えてみた。そして思い浮かんだのが2つ。

①相手への意識付け
②自分への意識付け

・・・


①相手への意識付け

まずここでいう「好き」とはもちろん恋愛感情的なこともそうだし、それ以外にも友達関係や自分の趣味や好物、将来やりたいことなどそういった多岐にわたるテーマをイメージしている。

まさに「察してくれ」文化の正反対をいく行為だろう。

そのうえで「好き」と言うことが相手への意識付けにつながると考える。

どうしてか。

それは何かあったときの”第一想起”につながると考えるからだ。

”第一想起”とは何か。

簡単に言えば「○○と言えば?」となったときに、真っ先に頭に浮かんでくる対象になること。

何かに選んでもらうためには、当たり前だがまずは相手の選択肢に入らないといけない

選択肢に入るためには、相手に自分という存在を意識付けしておかないといけない。相手の方から気づく、というパターンも無きにしも非ずだが確実性に欠ける。

そしてそれは「察してほしい」文化と一緒。待っているだけではそれは運頼みに過ぎない。

まずは自らアピールをすることで、相手にとっての選択肢に入り込む

そのうえで、いざ選択肢に入ったときのために最終的に選ばれるための準備を徹底的にする。ここの順番を間違えてはいけない気がする。

自分でコントロール出来るところに目を向けるか、相手頼みになるか、どっちかだとしたら絶対前者の方がいい。


・・・

②自分への意識付け

これは先日書いた記事に似ている部分もある。

自分はまだ自分でも知らない感情、感覚を多く抱えている。

胸に抱える葛藤、悩み、大きな夢、希望。

ここでは敢えてテーマ通り「好き」を例にするが、「好き」だってそれを外に出すことで自分自身も「あ、好きなんだな」と再確認できるようになる。

再確認できたことによって、自ずと行動も変わってくると思う。

「好き」を実現するための行動に変わっていくはず。
それがいい方向に転ぶこともあれば、悪い方向に転ぶこともあるかもしれないが。


そして自分自身大事にしている考えで、たびたび私の記事にも登場してくるものが、

「まずは自分から好きになる努力をする」

ということ。

”好きにならなきゃ、好きな理由はわからない”、と同時に、”好きにならなきゃ、嫌いな理由はわからない”と思っている。

一見相反する考えのようにも見えるが、私には繋がっていると感じる。

好きか嫌いかわからなくても、まずは「好き」だと言ってみる。
好きになる努力をしてみる。

そしたら本当に好きになるかもしれないし、もしくはそれでも嫌いになるのなら嫌いになる原因が見えてくるはず。


好きか嫌いかわからないのに、知ろうともしていないのに、勝手に決めつけるのはよくない。

「好き」と言うことは、自分自身への意識付けであるとともに、自分自身の本音と向き合い、自分を知るための貴重な行動なのかもしれない。



以上、自分なりに「好きなものは好きと言っておく」に対しての言語化をしてみた。

「言ったもん勝ち」だな、という仮説があったがそれは自分なりに実証された。

・相手の第一想起になれる
・選択肢に入る可能性がある
・自分自身の行動が変わる
・それでも嫌いな場合は、本当に嫌いだということが分かる


自分から声を挙げられる人でありたい。

その一方でそういった声を拾える人でもありたい。






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