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子供の頃のたくましさをいつまでも

先日Xにてこんな投稿をした。

そう、最近ちょっとインプット過多なのだ。

入ってきた情報を整理する間もなく、また新しい情報が入ってくる。

インプットって嬉しいものだと思っていたし、実際嬉しいものではあるんだけど、整理できないうちに矢継ぎ早に入ってくるものはちょっとパンクしそう。それに、自分から取りにいった”能動的なインプット”と、情報として入ってきた”受動的なインプット”でもまた感じ方が違うのは新たな発見だ。

やっぱり自分から掴みに行ったものの方が、自分が満たされることは多い。もちろん入ってくる情報も大事だが。

そんなことを考えた時、

「じゃあ、子供の頃ってめちゃくちゃたくましかったんだな・・」

だって学校というのはそれこそ一部の人を除いて基本的には”受動的に”知識を詰め込まれる場所だ。

もちろん能動的に取りに行っていた人もいるだろうが、学ぶ教科だったり時間割だったりは、決められているものだ。好き嫌い関係なく、見たことも聞いたこともないことを学んで、「ここテストに出るぞー」と言われて覚えて、テストの点数が評価に影響して。

まさに受動のオンパレード。
でもそれが義務教育というものだし、社会に出ていくために必要なこと。

ただ、急な自画自賛になるのだが、
それを何食わぬ顔して受けて、テストで点数とるために勉強して、まあある程度の点数を取り続けてきた自分が恐ろしい。

ただただめちゃくちゃにたくましいな、と。

必要だということはわかるけど、何につながるかはイマイチわかっていない。そんな中でも突き進む。大人になればなるほど忘れがちな感覚だと思う。

何が必要かを優先して、効率効率と求めて。
もちろんそれがすごく大事であることは前提のうえで、そうじゃないものに対しての耐久力が落ちてきているなと。

欲しいものを取りに行くことは大切。
だけどふとした瞬間に入ってくる知識や情報、予想していなかった発見、そういったものからしか得られない要素もある。

畳みかけるように流れ込んでくる情報に対して過去の自分は太刀打ちできていた。だから今も絶対にできる。


むしろ子供の頃より成長しているのは「結び付ける力」だと思う。

いろんな知識や経験を積み重ねてきたわけで、自分の手札は豊富になってきた。そこに新たに飛び込んでくるものに対し、一気に増えると大変かもしれないけど、

「これはあれと関係あるな」「これはこういった場面に使えるな」

そうやって自らの手で「必要なもの」へとしていく力はついているはずだ。

あとはいかにその整理する時間をつくるか。
もうこれは自分でつくっていくしかない。

とか言いながらなかなか作れていないから頭がパンクしそうになるんだけど、これはもう繰り返し繰り返し言い聞かせて、無理にでも設定していくかないところ。

子どもの頃のたくましさを持ちつつも、今だからこそできるアプローチも加えていく。そんな感じで自分をアップデートしていきたいものだ。



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