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蛇人間、生まれる(1) 【長編小説】


 始めにあったのは空白だった。そのようにして僕の意識は生まれた。



 そのあとで光と影が生じて、僕から闇の部分が分離した。



 僕は光のもとで生きてきた。というかまあ、少なくとも自分ではそう思い込んでいる。



 影は影の世界を生きてきた。というかまあ、少なくとも本人はそう思い込んでいる。



 そのようにして世界は始まった。僕は一人で生まれてきたのだし(少なくとも意識は、という意味だが)、同じように一人ぼっちで死んでいくのだと思う。それを哀しいと思うのかどうかは人それぞれだ。僕は・・・むしろその事実を祝福であると解釈したい。それが僕の人生に対する基本姿勢だ。プリンシプル●●●●●●



 さて、祝福すべき僕の人生は、ごく平凡に始まった。おぎゃあと生まれて、両親に基本的には大事にされて(ありがたいことに、だが)、スクスクと育った。子供の頃は肥満体に近かったが・・・そこにあった脂肪は、徐々に徐々に、何か別のものに姿を変えたらしかった。僕はごく普通の体型の、さほど運動神経の良くない、田舎の小学生へと変わっていた。成長。成長・・・。



 意識という点でいえば、子供ほど落ち着きのない生き物はいない。彼らはあらゆるものを見て、あらゆるものに驚く。そこには新鮮な発熱があり、好奇心がある。若い心臓が鼓動を打ち、細胞が増殖を繰り返す。僕らはおびえているのと同時に・・・心から外に出たい。そして〈まだ見ぬもの〉を見てみたいのだ。大人になったらそこにはどんな世界が広がっているんだろう・・・? おっかない人とか、なまぐさいこととか・・・そういう見てはいけないものごとがたくさんあるんじゃないだろうか? 僕はそういったものごとと関わりを持ちたいと欲しているのだろうか・・・?



 まあなんにせよ、僕はそのような不安定な時期をかろうじて生き延び、めでたいことにこうして大人になった。三十歳。その数字はときどき奇妙な重しとなって、僕の肩にのしかかってくることになる。三十歳●●●。もちろんまだまだ若い。もっとずっと年上の人から見れば、まだまだひよっこさ、ということになるのではないだろうか。しかし、にもかかわらず、その数字の持つ重さは減ってはくれない。三十歳●●●



 あるポイントで僕は気付くことになるのだが――というか気付かざるを得ない●●●●●●のだが――おそらく本当に重要なのは数字ではないのだろう。要するにこれが四十歳だったとしても五十歳だったとしても、本質的には僕に意味するところはさほど変わらないだろう、ということだ。僕が言いたいのは、僕はこれからの歳月を、これまでとはまったく違ったものにプライオリティーを置いて生きていかなければならない、ということだ。僕の場合それを悟ったポイントが、あくまで三十歳というふしだった、というだけのことなのだ。おい、と僕の中の何かが言っている。お前はこのあたりで根本的に変わらなきゃならないぜ。だってそうしないと、ずっと空っぽのままなんだから。まるで生きてはいないかのように、何も起こらなかったかのように、人生を押し流していくことになる。それで本当にいいのかい? 死は確実にやってくるぜ? 誰にとっても。例外なんかなく。



 僕はその声にじっと耳を澄ませている。それはおそらくは影の声だ。僕自身の影。もし人格が途切れのない成功したジェスチャーの連続だったとすれば――これは誰かの言葉なのだが――僕が思うに、「ジェスチャー」では捉え切れない、もっとゆがんだ部分が人々の中には存在する、ということなのではないか? 僕らは自明性の奥に、それぞれ何か隠された闇の部分を抱え込んでいる。それが最近ひしひしと感じ取っていることだった。問題は●●●、と僕は思う。他人のそれはなんとなく察知できるのに、自分の闇は全然見ることができない、ということだ。あるいはそれが「自明性」ということの意味なのだろうか・・・?



 いずれにせよ三十歳になって影の声が聞こえてくるようになった。それはある意味では・・・祝福すべき状況なのだと思う。あるいは意識の統合性がおびやかされているだけなのかもしれないが、とにかく・・・。というのもそうでもしなければ、僕は――僕の表層意識は――自分の真の状態に気付けなかっただろう、と今では思えるからなのだ。僕はおそらくは適度に凡庸ぼんようで、これまで自分の都合の悪いことには(無責任にも)目をつぶってやり過ごしてきたのだと思う。その報いが、おそらくはこの歳になってやって来たのだ。しかし●●●、と僕は思う。どうも周囲に影と話をしているような人間は見えないよな・・・。あるいは僕だけが特殊なのだろうか。それとも全然そんなことはなくて、あくまで「影」というものは僕の人生のためだけに発明された生き物なのだろうか? ほかの人々には、たとえば「妖精」とかたとえば「精霊」とか、たとえば「神様」とか・・・そういったキラキラした存在が用意されているのではないだろうか? それなのに、僕にとってはこのみすぼらしい影だけなのである。まったく・・・。



 まあそれはそれとして――あまり続けると影に怒られそうだから――僕は彼のおかげでようやく自分の現状を知ることができた、というわけなのだ。あるいは現状の「一部分」に過ぎない、ということなのかもしれないが・・・とにかく、前よりは視野が広がった。重要なのはたぶんそこのところだ。段階的発展●●●●●。人は――たぶん、だけど――それほど急に変わることには耐えられない生き物なのではないか? だからこそ習慣にここまで固執するのだ。子供たちは両親から物理的に離れるのを恐れるし、老人たちは長年かかって作り上げてきた自分たちのルーティーンから外れることを本能的に憎む。もちろんそのあいだに位置する様々な年齢層の人々も・・・。いずれにせよ言いたいのは、ゆっくりと、徐々に、壊して、再生していく。そのような過程が意識の再編成には必要なのではないか、ということだ。特に「プライオリティーを入れ替える」という根本的な作業にとっては。



 根本的●●●。それが最近僕のよく考えていることだ。根本的。コンポンテキ・・・。ふと思い返してみれば、僕はおそらくは大学生くらいの頃から「根本的」なものごとを熱心に考えようとしていたふしがある。その当時には自分が何を相手にしているのかすら分かってはいなかったのだけれど・・・(まるで透明な宇宙人を相手にパンチを繰り出す混乱したボクサーみたいなものだ)。当時僕に分かっていたのは、「自分には何も分からず、りどころとなるシステムもない」ということくらいだったのではないか、と思う。それでひたすら図書館にかよって、昔の優秀な――と思える――人々の書いた本を片っぱしから読みあさっていたのだ。それはもちろん一種の逃避だった。それは僕自身積極的に認めることだ。どれだけ優れた文章を暗記したところで、自分自身の根本的な――ほら、ここで出てきた。「根本的」――精神状態が改善されなければ、何の意味もない。何の意味もない、というか・・・結局帰ってくる場所は一緒なのである。毎日退屈な講義を聴いて、アルバイトに行く。お客さんに文句を言われて(一理はあるのだが、大抵バランスを欠いている。落ち着かない人々・・・)、疲れ切って帰ってくる。果て、俺の人生はどこに向かっているのだろう、と当時の僕は思う(実は今も思っているのだが、とりあえず)。このままだといろんなことが不毛なまま終わってしまうんじゃないだろうか? 俺は同級生たちのようにはなりたくない。あいつらは嬉々ききとして自由を売り渡そうとしているのさ。誰も自分の頭なんか使っていない。教師の言うことを頭から信じ込んでしまっているのさ。でも俺は違う(都合の良い思い込み。結局のところ僕もみんなと一緒である)。俺はここから抜け出さなければならないんだ。でもどこに? 何をしたらいい? 就職しないで、独立して生きることが本当に可能なのだろうか・・・?



 結局僕は現実の重みに負けて(そして自分の、自分自身に対する偏見に負けて)、ごく普通に就職することになる。中堅どころの保険会社だった。あなたもあるいは名前くらいは聞いたことがあるかもしれない(顧客だという可能性はたぶんかなり少ないけれど・・・)。僕はそこで一生懸命働いた。最初はいささかバランスを欠くくらいに。そのあとは適度に力を抜きながら・・・。様々な人々に会い、様々な光景を見た。誰一人として歪んでいない人間はいない、というのがそのときに僕の感じ取った真実だと思う(そこには当然のことながら僕自身も含まれているのだが)。その一方で大抵の人々が自らを「善」という固定された枠組みの中に押し込んで生きている。それがおそらくは一種の「安全装置」なのだろうな、と僕は思っていたのだが・・・。ときどき、頭の奥の方から、何かが湧き上がってくることがあった。それはおそらくは――今思えば、だが――僕の中の、最もゆがんだ部分だったのだと思う。その部分は常に動き続けていた。そして自由になることを欲していた。しかし、その当時の僕にはまだ自由になるだけの勇気がない。僕もまた、周囲の人々と同じように、自分を狭い「善」なるフィクションの中に押し込んで生きていたのだ。そのこと自体は薄々うすうす感じ取ってはいたのだけれど・・・しかし・・・。



 それはクジラの言葉だった。クジラ? と僕は思う(そのとき僕はオフィスにいて、退屈な書類とにらめっこをしている)。ちょっと待ってくれ。どうしてここでクジラの言葉なんてものが出てくるんだ? そもそもクジラはしゃべるのか? そもそもそれは男なのか、女なのか? 僕の頭の中は海なのか・・・? もし海だとしたらそれは広いのか? 子供用プールのような小さなものに過ぎないのか? 僕は誰なんだろう? いったい・・・。



 まあ落ち着きなよ、とクジラは言っている。ちょっと君に伝えたいことがあっただけなんだからさ。それで息継ぎのついでにさ、ここまでやって来たってわけなんだ。



 でもあなたの姿は見えない、と僕は言う(頭の中で、だが)。



 まあそれは、とクジラは言っている。君にはまだそれだけの力がそなわっていないからなのさ。これから変わるよ。もちろん。今はまだ修行時代だからね。



 ヴィルヘルム・マイスターみたいに、と僕は言ってみる。



 そう、とクジラはちょっと笑いながら言う。ヴィルヘルム・マイスターみたいに、ね。



 僕はちょっと不思議に思っていたところだったんです、と僕は言ってみる。僕は就職して、今まで働いてきて・・・いろんな人々の、いろんな側面を見てきました。それで気付いたのが・・・みんながみんな、例外なく固まった善の中を生きている、という事実です。それでもなお何か歪んだ部分を持っているんです。これは・・・。



 君はね、とクジラは言っている。その光景を心にとどめておかなければならないよ。それが君を暖めるもととなるのだから。



 頭のおかしいじいさんとか、性格に難のある演技的な上司とか、すぐに心が折れてしまう新入社員の女の子とか、掃除のおばさんとか、いつも周囲の悪口ばかり言っている同僚とか・・・そういった人々の光景がですか? 僕には信じられないな。彼らは・・・彼らは傲慢なんです。僕にこんなことを言うような資格はないのかもしれない。でもやはりそれでもなお彼らは傲慢です。それで、たぶんそのままいつか死にますよ。きっと。成長もしないでね。僕にはそれが分かるんです。なんとなく、ですが。



 それでもなお記憶に留めておくんだ、とクジラは言っている。意味とか、価値のことは、今は考えなくていい。そういう時期が来たら考えればいいのさ。そういったまつなものごとはね。だから今はただひたすら吸収するんだよ。まるでスポンジのように、ね。そんで価値判断なんかあとに回して、記憶の倉庫の棚にね、一つ一つ並べていけばいいんだ。それがいずれ役に立つ。君が君自身として世界を眺めるためにね。



 僕にはいまいち分からないのですが、と僕は正直に言ってみる。そんな作業が結局はどこに結びつく、というのでしょう? だって僕らはみんな死ぬんじゃないですか? 彼らもそうだし、僕もそうです。例外はありません。僕が読んできた本の作者たちだって、例外なく死んでいきました。僕にはその辺がどうも・・・。



 死はね、君が思っているのとは違った形をしている、とそこでクジラは言う。幾分いくぶん声が優しさを増したような気もしたが・・・あるいは気のせいかもしれない。僕が勝手にそう期待していたせいだったのかもしれない・・・。いずれにせよ彼の――たぶんおすだったとは思うのだが――言葉は不思議な説得力を持っていた、ということだ。僕はその言葉を、心のずっと奥の方に刻みつけておいた。そしてことあるごとに、頭の中で繰り返し反復していたのだ。以下がその言葉である。



 死はね、君が思っているのとは違った形をしている。それは本当は動き続けているんだ。実のところ。ちょうど君自身が、常に――自分ではそれと気付いていなかったとしても、だよ――動き続けているのと同じように、ね。私はそのずっと奥の方から泳ぎ続けてきたんだ。君と、君以外のものとの、ちょうど境目のあたりからね。



 僕はじっと聞いている。彼は先を続ける。



 死はね、君が思っているほど怖いものじゃない。それはね、一つの世界から、また別の世界に移動するようなことなんだ。そしてその「別の世界」のさらに外側には、「もっと別の世界」が存在している。それが永遠に続いていくんだ。だからね、君は怖がらずに今を生きなければならないよ。そこにこそ何か大事なものが――大事なもののほうが――宿ることになる。



 でも僕は、と僕は諦めきれずに言う。それでもなお、自分が生き延びることが善だとは思えないんです。いったい我々のどこに「善なるもの」が潜んでいるというのだろう・・・。というかそもそも「善」とは何なんだろう? 僕にはそれすらも分からないのです。実のところ。



 善とは正しい状態のことさ、とクジラは言う。



 でもその「正しい状態」とは何なのか、という段になると・・・僕は途方に暮れてしまいます。それでただダラダラと肉体的生存を保ってきたのです。ええ。実を言いますと、僕が今生きているのは死ぬのが怖いからです。この世界を消し去ってしまうことが心底怖いからです。それで惰性に従って、ただひたすらルーティーンにしがみついているのです。こんな仕事、別になくなったって社会は困りゃしません。でもその社会だって、一歩外に出れば独善的な狭いサークルに過ぎません。人々は計算することに熱心です。もちろん中には良い人もいるのですが、しかし・・・。



 何が問題なんだろう? とクジラは言う。



 問題なのは・・・そうだな、と僕は言う。たぶん人々が傲慢で、成長を止めてしまっていることです。良い人ですらそうなのです。僕はそういう姿を見ていると・・・正直ムカムカと腹が立ってきて仕方がなくなってくるんですよ。ええ。僕は彼らに言ってやりたくなります。いいか? お前の存在なんてなくても構わないものなんだ、と。生きていることに意味があると思っているのは人間だけだ、と。頼むから教えてくれよ、と僕は頭の中でいつも思っています。あんたがその辺を飛んでいるはえよりも偉いという証拠を何か見せてくれよ、と。蛆虫うじむしよりも高尚だ、という証拠を見せてくれよ、と。もちろんそんなものありゃしません。ニュースではいろんな事故や、災難が報道されていますが、それを観ると、僕は実のところほっとしてしまうんです。ああ、よかった、と。だってこいつらが生きていて、いったい何をするんだ? 早く死んでよかったんじゃないか、と。こいつらはどうせ傲慢な人間さ。アナウンサーだって一緒です。ただ機械的に、上から渡された原稿を読むだけなんです。それでいて自分は善の側にいると思い込んでいる。いいですか? 善なんてどこにもないんです。それは傲慢さの言い換えに過ぎません。僕らは豚よりも牛よりもとりよりも虫よりもカエルよりもへびよりも土塊つちくれよりも下等です。なぜなら彼らは傲慢ではないからです。僕は本気でそう信じているんですよ。ここのところ。



 クジラはしばらく黙り込んでいたが、やがてこう言った。すごく静かな声で。でも君は生きている、と。



 その通りです、と僕は言う。その通りなんです●●●●●●●●。ええ。だから僕が一番下等な人間なのだ、ということになるのかもしれない。だってそのことを知りつつ――僕だってやはり傲慢なわけですからね――死を恐れて、給料の計算をして、他人に悪口を言われることを心から恐れながら、なおかつ生き続けているからです。彼らは――というのは周囲の人たちですが――無意識的であるがゆえに、一種のイノセンスを持っています。ええ、イノセンスです。それはかなり利己りこ的なものではあるが、同時に自然なものでもあります。僕だって幼い子供が事故で死んだら、心を痛めますよ。そりゃ。でも意識が発達し始めると・・・人間は例外なく傲慢になります。そう決まっているのです。あなたはクジラだから分からないかもしれないが・・・。



 君はちょっと自分に厳しすぎるよ、とそこでクジラは言う。でもそれはね、実をいうと、責任逃れをするための厳しさなのさ。君は自分が下等な人間だという。だから生きる価値がないのだ、と。でもそれはね、本質を捉えた上での言葉じゃない。君は都合よく自分の自信のなさを覆い隠しているに過ぎないのさ。いいかい? 罪を持たない人間なんかいない。悪を持たない人間もね。生まれたばかりの赤ん坊だって、悪を抱えている。それが自然な状態なんだよ。実のところ。我々の存在はね、発展しようとすればするほど空白に近くなっていく。そして広がれば広がるほど、目に見えなくなっていくんだ。本当だよ。それは私が保証する。君はね、記憶を溜めに溜め込んで、そしてなんとか足腰を鍛えてだね・・・その上であらためて自分の目で世界を眺めなくちゃならない。そうしたらきっと今とは違う光景が見えてくるはずだよ。間違いない。それまではなんとかひたすら生き続けるんだね。意味のことはとりあえず脇に置いておいてさ・・・。



 ちょっと待って! まだ行かないでください、と僕は言う。というのも彼の声が明らかに最後の方は小さくしぼんでいってしまっていたからだ。僕はできることなら、こんな不毛な世界に一人取り残されたくはなかった。何かしらのヒントのようなものを欲していたのだ。これからかろうじて生き延びていくためのヒントを・・・。



 私はね、いつもそこにいるよ、とクジラはまるで安心させるかのように言っている。その声は深い響きを伴って、僕の脳味噌の最も繊細な細胞を震わせている。僕はそれを、じかに感じ取ることができる・・・。私はいつもその辺を泳いでいる。泳いできた●●し、これからもまた泳ぎ続けるだろう●●●。私はそれを知っている。ねえ、君は死を恐れちゃいけない。死だけが意識に穴をけるんだ。分かるかい? 穴だよ。穴。


 、と僕は思う。



 そう、穴だ、とクジラは言っている(その声はすでにだいぶ小さくなっている・・・)。死が意識に穴を開ける。君はそこを通り抜ける。全力でね。分かるかい?



 分かりました●●●●●●、と僕は思う。



 それで良い、とクジラは言う。いいかい? 余計なことを考えている暇があったらだね、暗闇と黙ってにらめっこしている方がずっとましだってことさ。私は・・・。



 でもそこで突然言葉が途切れた。僕は現実に帰ってきている。さほど存在価値があるとも思えない、この現実に・・・。僕はクジラの言葉を記憶しようとしている。彼の助言に、なんとか従おうとしている。しかしそれでもなお、僕は元の僕のままだった。余計なことを考え、ふらふらと彷徨さまよい、瑣末なことで傷ついて、死を恐れながらただ生き延びていくんだろうな、と僕は思っている。でも百パーセント、完全に意味がないのか、というと・・・どうもそうでもないような気もする。僕は揺れ動いている●●●●●●●●●、と僕は思う。善でもないし、悪でもない・・・。いや、違うかもしれないぞ、とすぐに思い直す。善でもあるし、悪でもあるのかもしれない・・・。その辺の細かいところはまだよく分からない。なにしろ常に揺れ動いているのだから・・・。



 その日一日、なかなか調子が上がらなかったことを覚えている。細かいミスを犯し、それを取りつくろうために、ちょっとした嘘をついた。僕はそのことに罪悪感すら抱かなかった。頭の中ではクジラの言葉が反響し続けている。君は死を恐れちゃいけない。はいはい、分かっていますよ、と僕は思っている。そして死のことを考えてみる。本当は形を変え続ける「死」というものを・・・。でも現実の雑多なものごとが、僕を地表に引き戻す。僕はまた彷徨さまよい続け、かろうじて肉体的生存を保つ。生きている意味も分からないままに・・・。


蛇人間、生まれる(2)へと続く・・・


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