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何もしてない、敗北感とラグジュアリー感の狭間で

この春から保育園に通い始めた次女は、とにかく活発で、チャレンジ精神も、食欲も旺盛です。

保育園でみんなと遊ぶのも大好きで、常にハッピー。何でもウェルカム!って感じで。

そんなオープンな性格のため(ではないと思いますが)、胃腸炎が流行れば下痢をするし、鼻風邪が流行れば鼻水を垂らします。

本人はそれでも元気なので、少々の発熱も知ったこっちゃなく、でも流石に微熱のところを保育園にお願いもできず、このご時世だから、検査だってしっかりしないといけないし、病院や薬局にしょっちゅうお世話になっている気がします。

一昨日、ちょっと微熱だと保育園から呼ばれ、昨日からお休みをさせてますが、本人はいたって元気です。

問題は、子供と四六時中一緒にいることになる私の方で。

育児をしながら、それでも何かしないといけない、という強迫観念にかられることがあります。

最低限の家事に、できれば自分自身のことも。
隙間時間には、自己研鑽。家にいて体を動かせない分、子供と遊びながら腕立て伏せをしてみたり、ストレッチもしたい。

でも、大体の確率で、うまくいきません。複数のことをこなそうとするほど、一個もできずに夜になる。

子供が寝たら読むつもりのお楽しみの推理小説も、全然進みません。

何もしてない、という敗北感。
とても厄介だなぁと思います。

一方で、何もしないことが最高の贅沢、
と、世の中では謳われたりもします。

何もしないために、人里離れたグランピング施設を予約したり、ぼんやりする時間を持つために、お金を払ってコーヒーを飲みに行く。

私は子供が保育園に行けないことで、全ての予定から解放され、何もしない時間を得ている訳で。(もちろん、育児をしているから、何もしていないわけではないけれど。)

何もしないのは贅沢なのに、何もできないのはダメなのかしら。本質はどちらも変わらないのに。

今日も、もうすぐ日が暮れる時間になってしまう。そんなことに思いを巡らせてばかりいるから、結局何も出来ないんだろうなぁ。


#エッセー
#日記
#育児

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