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B定食

入社式が終わった週からは毎日、営業と私が所属している企画室の連中もホールに集められての朝礼の時間でした。


60過ぎの副社長の異様な轟音が響き渡り、熱気が全身を包み込むような迫力に圧倒されました。まさに、これが「副社長」という役職と思うと、あまりにも僕とは無関係の気がするほど世界の違いを感じていました。「悲願の売り上げ目標まで〜!」と周りを見渡すと、わかっているよとばかりに「うんざり」した顔をした諸先輩達……。


正直言って、副社長は他の役員に嫌わらていました。5年後ぐらいの、ある時、数人の役員に、お洒落な喫茶店に行れていかされました。カウンターから見える大きなガラス越しの先には、たくさんのスーパーカーが並んでいました。この店はオーナーが趣味でやっているんだろうか?それとも役員連中の隠し駐車場だか?


私は副社長への恨みごとを散々と聞かされ、「あのポルシェいる?」と突然、真顔で言われたが丁寧に断りました。とんでもないことを言い出すなぁ……。これが、いわゆるドロドロした「派閥」の誘惑かと少しばかり驚いた僕は、まだ27歳でした。そんな話なんて至極どうだっていい事でした。目の前の仕事を淡々とやれればそれで満足だったし、いずれは大きな仕事を成し遂げればいいだけだったから。だからテキトーに聞き流していました。ただ副社長が散々と他人を蹴らして、あのポジションになったことだけは十ニ分に分かりました。なぜなら彼等の言葉には嘘臭さがなかったからです。



ある日の朝礼で副社長は無理が祟ったのだろうか。最後に「ゴルフをしていたら歯が抜けた」なんてボヤいました。ある時に入院したのでお見舞いに行ったら凄く喜んでくれた。その時に「水彩画の個展がしたいんだよなぁ」と作品を見せてくれたが、それは立派なものでした。その時に短い時間ではあったが、元々デザイナーであり画家であった遠い昔話をしてくれました。退院しても身体は弱っていくのが目に見えて分かりました。2階のホールに登って歩くのすらつらそうだったでした。「あの怖かった頃の副社長がなぁ」


彼が退院してからというもの、私は週一ぐらいでアウディの助手席に乗って、いつもの落ち着いたレストランに連れて行ってもらいランチを奢ってもらっていました。毎度、メニューを見るまでもなくいつもの「B定食」を頼んだでいました。最初は単純に副社長に合わせていただけだったが、まるで不満はなかった。それは生姜焼きと決まっていたからです。たくさんの野菜が入り混じって上には少しばかりネギが上から添えられている。横にはキャベツの千切りが横に大盛りに。味自体は少しばかり薄口だと感じたが、生姜が新鮮なのかピリッと効いて肉も絶妙な焼き加減で、何度食べても飽きはこなかった。しかし30歳以上も歳が離れていると何も喋ることがないもので、ここの生姜焼きは絶妙で美味しいですね」、「そうだろ?ここの生姜焼きを食べたら他のところは食べれなくなるんだよ」、「本当ですね」と、また沈黙。


私がデザイン部門の本部長になると、副社長は車椅子で通勤するようになって玄関からエントランスに向かって車椅子専用のスロープが設置されました。数年後、彼は朝礼にも出席しなくなり私の部署に異動しました。彼が悔しい思いをしたことは想像に難くありませんでした。あの彼が私の部下になってしまったが、周りの人々は便宜的に彼を「副社長」と呼ぶことにした。
もはや副社長には、長年培ってきたコネがあるだけでした。私は彼なりの計らいで何度か世界的なデザイナーに会う機会があったりもしたが正直興味はありませんでした。
或る日、部下たちは私が与えてもいない知らない仕事的なことをしていました。現場は冊子モノも3冊も同時にやっていたために、とても忙しかった。ある時、部下の一人に「何してるの?」と尋ねると、「副社長の水彩画の個展の準備です」と言われました。思わず私は怒鳴ってしまいました。「こんな忙しい時にそんなことをしているのかよ!」。慌てて他の部下たちも元のデスクに戻りました。


そういや、数人の役員から喫茶店に連れて行かれた時があったことを思い出しました。彼らは私にポルシェをくれると……。正直、副社長には呆れて言葉を失いました。いくら偉かったとはいえ、こんなことをしていいのか…。私は、すぐさま監査役に報告した。監査役はやはり、その役目は強かった。彼は速やかに副社長を連結子会社に異動させ、ダイレクトメールなどを袋詰めの仕事を与えることにしました。


ある日、私の部署に私宛に電話が掛かってきました。「だれから?」と、いつものように部下に尋ねると「副社長からです」。私は電話に出るのが怖かった。一体、この件に関してなんと言われるのだろうかと。
「●●か?まぁ、本当にやられたよ。俺も若い頃には随分とやんちゃしたからね。まぁ、頑張ってくれ」と手短に平坦に言うと彼は電話を切りました。昭和、平成と逞しく、そして誰よりも図太く駆け抜けてきた男が、数年前まで顔も名前も知らなかった社員に、あっけなくばっさり斬られ、その変移を受け入れることに対する美学だったのだろうか……。


その会社の前を通りすぎる度に、あのアウディが駐っていたが、いずれ見なくなってしまった。

私はしばらくして、副社長に連れて行ってもらったレストランに行ってみた。当然「B定食」を頼んだ。そうすると「『あら、もう『AもB定食』はないのよ。だから定食は好きなのを選んでくださいね。B定食は生姜焼きだったけどね、それでいいかしら?』と上品なお婆さんは言ったので「それでお願いします」と注文した。

しばらく経つと、あの時の生姜焼きが出てきた。相変わらず美味しい。懐かしい味に舌鼓を打った。気にはならない程度だったが、なんだか味が濃くなったかな?

会計時に「味が濃くなったでしょう?若い人はね、これぐらいでねぇ」

やっぱりかぁ……。

あの頃は確かに身体に効きそうなビタミン系の野菜がやたらと多かったし薄味だったから。だか、あの味は変わっていない。私は懐かしみながら、それを味わった。さて値段も変わっていないなぁ。

「!」

会計の後ろには、見事なウグイスの、まるで繊細な水彩画が飾ってあった。

だが、私は私なりにだ……。


#元気をもらったあの食事

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