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一回性と有限性の檻の外に身を置くこと 【#74】


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仕事にこだわりはあるものの、いつだって明日辞めてもいいと思ってる。人生の一回性と有限性に対し、自分が対抗できる手段は身も心も常にフッ軽でいること。木と森。虫と鳥。そもそも、あらゆる全ての制約をいつでも外せること。意思は無限の可能性につながり、開かれていることを忘れたくない。

もし自分に今、夢があるなら、その夢を笑わない友達と一緒にいた方がいいと。 夢を笑うやつは友達じゃない。その夢を見るあなたに対して、嫉妬してるだけなんだと。

読み終えた鈴木おさむさんの新刊『仕事の辞め方』の中にあった言葉。人は前提、弱い。自分の意思だけですべてを決定して、突き進める人なんてほとんどいない。周囲の人間は毒にも薬にもなる。だから、常にポジティブなエネルギーをくれたり、視座を高くしてくれる人の近くに身を置くのがいい。

日本で言語化して、海外でポーカーをして、を繰り返すの日々。

日本での日々は慌ただしい。いわゆる書き物系の仕事もこれまで通り、こなしつつも戦略を立案するような思考系の仕事も多い。歩いているときですら、考えを巡らせ続けなければならない。

タケ・クボ、英語もイケるクチか...。一つの言語を身につけるまでにどれだけ膨大な時間とハードワークが必要か自分も知っているからこそ、鳥肌が立つ。まして、自分とは比べ物にならない忙しいスーパースターが、それを平然とやってのけている。本当にブラボーだと思う(流石にアジアカップ期間だけはDAZNに加入した)。

そうか。一年に一回映画『GO』を観ずにいられないのは、自分が杉原(窪塚洋介)とジョンイルの分裂的存在と自覚があるからかもしれない。すなわちヤンキー的なるものとエリート的なるものの中間=アイノコ、予定調和の向こう側、矛盾の体現として生きている認識があるから。だから別に発狂する必要なんてないんだと思う。自分が思う通りの理想と正義を追い求め、叫び、ときに迷い、進んでいけばいい。

自分は両極が複雑に混じり合って人格を形成している自覚がある。千葉雅也さんの『勉強の哲学』を読んだ時も激しく共感した。そもそもの原コミュニティがヤンキー寄りだと、勉強するほど“キモくなる”ってのを地で体験しているから、論旨に首を縦に振りまくった。

ジグムント・バウマンの『コミュニティ』なんかでは、個人とコミュニティの主題として「自由と安全のトレードオフ」がフィーチャーされる。けど、個人的にはここで話しているような、個のアイデンティティがコミュニティというか、全体から来る相対性の力学に実は多大に影響を受けているのではないか、に関心がある。

In Between Verbalization&Texas Hold'em

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