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原書のすゝめ:#4 THIS IS NOT MY HAT

Jon Klassenの絵本を最初に発見したのは、京都のジュンク堂だった。

私は地元にいても旅先でも、必ず本屋を徘徊する。とくに何かを探しているというわけではなく、ただ回遊魚のようにふらふらと書店の中を泳いで回る。そうすると、突然面白いものが目に飛び込んでくることがある。この絵本もその一つだった。

絵本コーナーの棚でたまたま目に入り、その絵の可愛さに惹かれて思わず手にとってみた。1ページ開いた途端、目を疑った。さらにページをめくると、私は本と会話をしていた。これはまずい。小刻みに震える肩を傾けて、周囲に誰もいないことを確認すると、一度深呼吸をして気持ちを落ち着けた。それでも顔は笑いを噛み殺すために引きつったままである。ページをめくるたびに周囲を見回し、声を出さないように肩で笑い、とうとう最後まで辿り着いた時は棚にしがみついていた。この「日本語」の素晴らしさはどうだろう。


ここはジュンク堂である。ということは、洋書もあるはずだ。そのまますぐに洋書コーナーに向かった。しかし、残念なことにこの絵本の原書を見つけることはできなかった。


その後、しばらくして地元の丸善書店で原書を見つけた。あまりの嬉しさにすぐさま手にとってページを繰りはじめた。ところが…。

面白くない。

いや、面白いには面白い。だが、すでにあの邦訳を味わったあとでは、原書の面白さはもはや味覚を失っていた。これは誤算であった。そもそも翻訳書というのは、翻訳者がいかように努力しようとも原書のニュアンスを完全に伝えるのは難しいものである。それゆえに、原書を読んでみることをこれまでおすすめしてきたのだ。もちろん、うまい翻訳に出会うと魂が昇天するほど感動する。翻訳者への敬意も一度たりとも忘れたことはない。しかし、どんなに素晴らしい翻訳であっても、原書を読むことで筆者の息遣いを感じるという楽しみを減ずることはできないはずである。

にもかかわらず、この作品に限っては、私は自分の見解を翻す。翻訳書が原書を超えたのだ。その理由は、ひとえに邦訳の「日本語」による。ブラックユーモアが散りばめられた絵本に、これ以上ふさわしい翻訳はないのではないか。どちらか一方を選べと言われたら、迷わず翻訳書を選ぶ。

そういうわけで、今回はこの「日本語」の面白さを味わっていただきたいと思う。
まずは、原書から。

* * *

THIS IS NOT MY HAT


This hat is not mine.
I just stole it.

I stole it from a big fish.
He was asleep when I did it.

And he probably won’t wake up for a long time.

And even if he does wake up, he probably won’t notice that it’s gone.

And even if he does notice that it’s gone, he probably won’t know it was me who took it.

And even if he does guess it was me, he probably won’t know where I am going.

But I will tell you where I am going.
I am going where the plants grow big and tall and close together.
It is very hard to see in there.
Nobody will ever find me.

* * *

衝撃の出だしである。それほど難しい英文ではないので、まずは自身で内容をつかんでいただきたい。さらに、余裕のある方は「和訳」を試みてほしい。さて、どんな印象を持たれたであろうか。

それでは、いよいよ日本語訳を読んでいただこう。

* * *

ちがうねん


 このぼうし ぼくのと ちがうねん
 とってきてん

 おっきな さかなから とってきてん
 ねてるまに

 きっと まだ ねてるわ

 まぁ おきたとしても、ぼうしのことなんか
 きがつけへんわ

 まぁ きがついたとしても、ぼくのことなんか
 あやしめへんわ

 まぁ あやしんだとしても 
 ぼくの いきさきなんか わからへんわ

 ないしょやで
 かいそうの ジャングル いくねん
 
あそこに かくれたら、
 だあれにも みつかれへんねん。

* * *(以下略)* * *


あのな、さかなくん、「ここだけの話」いうんは、案外、視聴率高いんやで。


この絵本を読んだとき、正確に想像するといささか気持ちの悪いたとえになるが、私の目から何百枚という鱗が落ちた。翻訳したのは、もちろん生粋の大阪人である。原書の翻訳にこんな可能性があるなんて、これまで想像すらしたことがなかった。

ということは、もちろん大阪弁に限らず、東北弁や九州弁などの「日本語」に置き換えることもできるということだ。個人的には、大阪弁のユーモリスティックなイントネーションが最も相性がいいと思っているが、全国各地の方言に訳して楽しんでみるのも一興であろう。

ところで、この本の朗読がYoutubeに掲載されている。老婆心ながら、視聴される場合は必ず「ネイティブ」の発音による朗読を選んでいただくことをおすすめする。コテコテの大阪弁でなければ、この翻訳の面白さは伝わらない。


さて、今回の作品はいかがだっただろうか。
原書も邦訳も楽しんでいただけるように、ほんの少しだけ別の本もご紹介しておきたいと思う。

* * *

My Hat is Gone   どこいったん


My hat is gone.    ぼくのぼうし どこいったん?
I want it back.       さがしに いこ。


< キツネとの対話 >

ぼくのぼうし どこいったん?
きみのぼうし しらんなぁ。
そうか おおきに。


< カメとの対話 >

ぼくのぼうし どこいったん?
このいわに のぼろ おもてね。
ぼく いちにちじゅうね…。
のせたげよか?
うわー、たのむわ。


* * *



原書の存在感、ゼロである。


<原書のすゝめ>シリーズ(4)

※<原書のすゝめ>シリーズのコンセプトはこちらの記事をご覧ください。




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