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会社を辞めて留学してわかる、若い頃との違い【3】

これは、自分は永遠のバックパッカーだと信じていた私が、会社を辞めて留学したことを通して心の変化に気付いていく話。前回までの話はこちら→【1】 【2】

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永遠だと信じていたバックパッカー魂に、悲しくも疲れを感じてしまうこの状態は、大学生の時にあった、終始目を輝かせて新たな出会いと場所を無限ループしたい欲が、7割がた減退してしまった、そんな感じ。

正直に心の叫びを表現すると、
「周りに人がいることを気にせず、お行儀悪い恰好でゴロゴロしたい!!!」
「好きな時間に好きなタイミングでお風呂場使いたい!!!着替えとお風呂セット置く場所にいちいちやきもきしたくない!!!!」
「せっかく交流の場にいるんだから、交流しないと!という義務感と、そうじゃないと勿体ない気がするという貧乏性から解放されたい!!!」
と、個の欲求が、輪に加わることで得られる何かよりも勝るようになってしまった。

それはなぜなんだろう。

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20代色々経験してみた。旅しまくった大学時代を経て、東京で働いて、三十路を前に新しい土地に足を踏み入れて。その経験を通して、自分が心地よいと思うことが変わってきた、というよりも、心地よいと感じる範囲がはっきりしてきた、という方が正しいかもしれない。

何が自分の世界になるかわからないから、好奇心に任せて色々見てきた。学生も社会人も経験して、ある程度の異なるコミュニティも、生活水準も体験した。それを通して、何をしていて、どんな人に囲まれていると居心地が良いかわかってきたし、どこまで足を伸ばすと自分が安心できるエリアを出てしまうかも、なんとなく理解した。そして、そこから飛び出るのに使うエネルギーも計算できるようになり、とりあえずステイ、というスタンスもできるようになった。

決してバックパッカー時代に無理をしていたわけではなくて、その時代は個の欲求よりも、そこから得られるものの方が大きくて、そうやって突っ走っていけるエネルギーがあった。

だから、今のこの状態は、エネルギーの面では減退だけど、自分を方向付ける上では今までの蓄積の結果だ。

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新しいことを知ったときの、目の前がパッと開けるような感じ。その気持ちを表現する時の熱量。歳と経験とともに、それを感じて体現する頻度が減ってしまったことを受け入れるのは寂しくも悲しくもあるけど、自分の中身が整理されてきた証拠。

留学中、歳の差を感じてなんとも言えない気持ちになることは多々あったけど、私もこの子達と同じ歳だったらよかったのに、と思うことは一度もなかった。だって、それを通じて、自分はどこにいたいか、何がしたいかわかったから。

結局は、今その瞬間の自分の身の丈に何があっているかを理解すること、そしてそのものさしを養っていくことなんじゃないかと思う。

「歳なんて関係ない。」

何かをスタートして、その経験から自分のことを知る、という意味では、これは永遠に通用するフレーズ。だから、私は立ち止まらない。もっと自分が変わっていくところを見たいから。

ー終

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