どうしてもわからなくなってしまったこと
2022年が明けました。明けましておめでとうございます。
元日には、近くの神社に初詣に行ってきました。
ルトくんが歩いて行ける距離の場所には、大きな神社があります。初詣に来る人も多く、夏祭りのように露店も参道に立ち並んでいます。
お参りをして社務所でお守りを貰ったり、おみくじの結果に一喜一憂。その後に、お祭りの露店で買い食いをすることは、今の年齢になっても楽しいことです。小さい頃はお小遣いの範囲内でしか買い食いができなくて、本当に食べたかったものが食べられなかったり、たくさん食べることは難しかったものでした。しかし多少は懐に余裕ができてくると、その反動なのかいくつも買い食いしてしまいます。
そうやって買い食いをしていると、多くの人とすれ違います。
初詣なので家族連れが多い中、次に多いのは男女のカップルです。
正月は家族で過ごすものとばかり思っていましたが、どうやらルトくんのその考えは、少し古かったみたいです。
かつてはカップルを見ると「いいなぁ」「羨ましいなぁ」と幾度となく思ってきました。付き合っている彼氏彼女がいる。そんな光景には、憧れがありました。自分もそうなりたいと、行動していたこともあります。
だけど、今は羨ましいと思うどころか「なぜ付き合うのだろう?」と疑問が沸き起こるようになりました。
恋愛については、もういいイメージは持っていません。
これまでの人生で、女性から好かれることなんて、ただの一度もありませんでした。立派な非モテです。当然のこと、彼女いない歴=年齢です。
下世話な話ですが、風俗にさえ行ったことがありません。
恋愛はおろか、女性に対してさえいいイメージを持っていません。恋愛が絡んでこない場面では普通に接することができます。仕事や日常生活といった場面です。しかし、恋愛といった男女の関係が絡んでくると、途端に「もしかして騙されてる?」と疑心暗鬼になります。
そんな自分に恋愛も結婚も不可能なことは、誰だってわかります。
「恋愛や結婚は、自分には関係の無いこと」
「女性から好かれることなんて、あり得ないこと」
そう信じて疑っていないのです。
将来的には「彼女いない歴=年齢」から「彼女いない歴=享年」になるのも、そう遠くは無いでしょう。
それに僕は、葬儀の仕事において数多くの『別れ』に立ち会ってきました。
大切な人が亡くなり、悲しみに打ちひしがれる遺族の方を見るたびに、こう考えました。
「どんなに大切で愛おしい人でも、いつかは死によって別れる時が来る」
僕も遺族として親戚の葬儀に参列したことはあります。
だからこそ悲しみも分かりますし、昨年は実家の愛犬が虹の橋へと旅立ちました。別れることで体験する悲しみや痛みの辛さは、分かっているつもりです。
そんな辛い経験は、あまり数が多くないほうがいいと思います。
「今は愛し合っていても、いずれは気持ちが変わって別れるかもしれない。もし結婚したとしても、離婚することもある。最後まで添い遂げても、死という永遠の別れから逃れることはできない」
「それなのに、なぜ男と女は付き合うのだろう? 最初から付き合わなければ、悲しい出来事はそれだけ少なくなる。どんなに数多くの楽しい思い出を重ねても、最後には死ぬ。それでも男と女は愛し合い、付き合おうとする。いったいそのことに、何の意味があるのだろうか?」
ずっとルトくんは、そう考えています。
考えても仕方がないこと、意味のないことだと思いますが、これはずっと考えていくことだと思っています。
©手塚プロダクション 1970
手塚治虫著「火の鳥 鳳凰編」(角川文庫)より
宇宙の中に人生など、いっさい無だ!
ちっぽけなごみなのだ!
僕には、男女が付き合う理由など、永遠に分からないことなのかもしれません。
それに対して「もったいない」「本当は付き合いたいくせに、素直になれよ」「恋愛というこの世で一番楽しいことをしないなんて、人生損してる」という人がいます。
ごもっともなことだと思いますが、それでも分からないものは、分からないのです。
例えるのであれば「生まれた時から目の見えない人は、空の青さを生涯知ることは無い」のと同じようなものです。
生まれた時から目の見えない人に、どうやって空の青さを伝えますか?
その方法を知っている人が居ましたら、是非教えてください。
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