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三千世界と至福の極める道 理

本質は無く、本質は在る。There is essence, there is no essence.

三界 - 欲"物質" - 色"光と音" - 無"闇"

三界を連ねて超えるのに必要だったことを単純明快に示すとそれは愛からの知。それは様々な色"光"🌈であり、形🩵である。さらに単純明快に示すとそれは音である。様々な色が集合意識的に導くその先にあったのは一つの音。詩と言おうか。Nirvana Shakatamであった。さらにそれを単純明快に示すとそれは己の中の無"闇"と無限の存在であり、既に存在し、そしてまだ無い、無時間的そして無空間的、無限の共存である。それは2022年3-4月頃により知覚され、その知覚を此処現代地球的人間的知覚と統合する行為が始まる。


顕現の技


無と無限より出る音は色に作用し、色は感情であり、感情は思考に繋がり行為を体現する。形である。無"無限"-精神-物質-有"無限"の無限的循環である。この一連をサンカーラまたは行"業"とし、縁と因縁として顕現される。この一連を己の内で真に理解するところに口、心、行いが揃い命"美琴"として顕現する仕組みがある。その理解は必ずしも現代人間的言葉"表現"で無くても良い。心の神髄である。知覚は思考的理解の本質を超えるからであり、それを識よりの般若である。受も想も知覚からであり、受が外的要因なら想は内的要因が起因とされるが神髄は己の内からである。三界の最天辺を有頂天と言うならば、Nirvanaはその三界全てを連ねて超える知覚であり、それは無と無限の共存である。

無限自身


縦の領域に途方も無く存在することは、それ即ち中今的横の領域にも作用する神髄であり、音は調律する。またはその縦と横を合わせる十方的自身の真中にあること即ち途方無い自身への存在であり、無無限。そこに上も下も天も地も存在し得ない。無天上無天下大和皆我独尊は一のみでも I のみでも無し得ない由縁である。横は人間的自身であり、そうで無い。複合的自身としても知覚される。縦は神的自身であり、そうで無い。合わせるところに陰陽的として知覚される。陰陽合一であり、無善悪、無悪善、無邪正、無正邪の神髄でもある。中今は無と有の共存する無限であり、無無限とでも言おうか。



阿吽の仕組み

肉の目は外光的要因とするなら第三の目"心眼"は内光的要因とする。それは肉の目と松果体"心の目"の仕組みを現代医学と照らして合わせても分かるだろう。鼻はなは吸い吐く仕組み。空の気の阿吽の仕組み。耳は受け入れ、口は放出する。吸い、吐く、受け入れと放出それは循環であり、その循環は宇宙のエクスタシーである。阿吽の仕組みである。そこに小さい我的のみだと停滞的になり滞りを生じる。大吾的知覚が顕現されるところに遍く広くその循環が生じる。無小大、無大小の調和の成すところに至福の極めが無限的に生じる仕組みであり、一のみでは無し得ない。皆ミナの極みのためである。




小我は大吾の広さを知り得ないところに大吾への勘違いが体現される。無知は決して悪くなる必要は無い神髄である。



3000, 7, 10, 21


【English】
https://takuuweb.com/consciousness/3411/



◉一ニ三四五六七八九十
十九八七六五四三二一◉

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