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天の祭りごと、政治のキホン、政りのキ、松の理

政とはまつり、領土、臣民を統そつして治めることである。政治である。

天の政りごと


天の政りごとは戒律を課さなければ命令もしない。導くことが基、キホンである。

未熟な魂の人民がルールを課し、命令またはそれに沿う体現の現れに地獄的な現れとなる。

未熟な魂はまた自の人間的頭より、上手いこと、国のためを口にし得るが、未熟な魂はキホンがわからないまた欺瞞をし得る

地獄的想念を因果するところに地獄的輪廻として存在するのもまた道理であり、それを解毒するように永遠の立場より導くのもまた天の在り方である

天の在り方と義務

義務はあるが無い、天の在り方の神髄である。それは己が他であり、他が己である故に存在する奉仕の意識または義務そのものであるが、己の世話は義務では無いの同意である

義務は存在そのものと世界と密接に対応するからである

天の在り方の義務はまた強制されるものに依らない

現界と霊界の反映

地の界は霊界の投影であり、その環境は地の界と共通する。

霊界には霊人が在り、家もあれば、草木もあり得るのは、その刻の状態に対応しているからである。

夢などは幽国的と視られるまたは捉えられ得るが心の状態により、霊国に正通している状態とも知覚される。幽谷"国"的は地獄的と対応し得るが非なる知覚でもある。

幽国的対応が四次元的になされているように、近い次元との対応は必ずしも陽的とは限らないが、陰の裏は陽であり、それ即ち空または無陰陽であるように五次元的対応が為される。
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感応の仕方によっては人間的には悪く感じられることもあるが、誠の善の立場から知覚するところに真中を見据えることができる。

三界の対応


光の道


霊国より光の道は入りやすく、闇への道は入りずらいのが現状である。

それはある域の初心者にとってハイヤーセルフや光のみが神的と知覚される様に、熟練にとっては闇もまた神的であるからである。

闇はまた途方も無い神神への道と通ずるが、それは知覚する位置にとっては楽と知覚され得ない。

それにもまた無限歓喜弥栄の神秘が秘められており、スの神的意識が団体の中心的存在を成す由縁でもあるだろう。

アの神的意識が立体的に出る、知覚されるのはこの光の道が対応しているからである。

ツの神的意識はスの神的意識と表裏の様に対応する。この場合、月と海の関係性である。月の上弦、下弦により海の状態が変動する様に、此処三次元女性的顕現も満月に影響される。

心理学も対応される様に、二つ目では見えない力は、二つ目で見えない空間を伝導して対応している。三つ目の空間の知覚である。

波動

原子または素粒子または物体もまた波であることを量子力学は示すだろう。

量子力学、二重スリット - wikipedia参照


全は知覚であり、無もまた知覚である😌 全ての知覚はエネルギーのためであり、無もまた知覚である😌

生と死もまた現代人間的構造"マトリックス"と密接している知覚である😌 死を畏れますか?ナンセンスである。

死よりも気にしたいことがあるだろう。それは意識する恐怖そのものと魂の欺瞞であり、恐怖も知覚でありそれ故に氣である。

内に集め、廻すことによるエネルギーの遊びは神髄である😌

静止してありのままを視ることは、世界の流れを感じとり、世界を学び、世界と一体となり、世界を廻す神髄となる😌

永遠の知覚から感じ顕現する、無無限的循環😌

善人が静止しシフトの技を得るなら悪我良し、休むために盗む源を失くす😌

静止しありのままを視ることは神髄である。税を奪う言い訳、理屈悪も無くさせ有無も言わせ無い技となるだろう😌

善人の住むところは悪人が休むところでもあるからである。

【己から】⚫️-----🌀-----⚪️ 悪はあるが無い、善はあるが無い。プルシャ(純粋意識)の真髄。

現代三次元的物質(肉体含む)、五大、五層、七層もエネルギーであり、意識よりエネルギー逸脱→再構築の技。

己の内の知覚を意識"awareness"無(none)→吸収→己の内のエネルギーをフォーム(ment)→放出(emit)の技。吾は五大でも、五層でも、七層でも無いだろう。


吾はマインドでも、我的構造による反射でも無い。我は経験でも、記憶そのものでも無い。吾は死への恐怖でも無ければ、構造からの反射でも無い😌

形であり、無形、至福であり永遠の意識である😌 内に全も擁するものであり、遍く広く意識を顕現するもの、詩"Verse"なる優雅さを体現するものである😌

意識より対応する7つの理

㐂 音-き、意-至福


意識より対応する7つの理。
・想いの力"真神心理" メンタリティー
・対応の力"対体大理" コレスポンド
・波動の力"波ハ芭理" バイブレーション
・極性の力"極悟空理" ポラリティー
・中性の力"中宙沖理" ニュートラリティー
・律動の力"律立莉理" リズム"バース"
・原結の力"火流磨理" カーズ & エフェクト

想いの力

想いの力は神的、心的、真的意識を知覚するのに基キまたは本"元"を成す。

この想いの力を利己的のみまたは未熟的に対応するところに地獄的顕現な原因と結果が成されており、現代科学のエネルギーから観てもエネルギーは循環することを知ることが大切である。

これは原因は結果のために、結果もまた原因のためにエネルギーは循環と対応するからである。カルマの神髄とも言えよう。

月と海の対応の様に、知覚状態によって時間を此処現代三次元的に知覚し得るが、7つの理よりその制限すらも超越し得る。

個と全では、個の知覚と全の知覚は独立しまた共存していることは神髄である。個の知覚より、全を廻すように、全もまた個を廻している。永遠の知覚から視ることより、ありのままを知覚する神髄となる。

またそれ即ち、カルマの顕現を此処現代三次元的感覚的にも明瞭にすることができ得る神髄となる。

対応の力

対応の力は対的、体的、大的であり七つの理が全て対応し合う如くその力を顕現する。

対応の力の神髄は真実的"地重"であり、抽象的"天空"とも顕現する。

それは数秘術や色秘術を地重のための真実性とするなら、◉九十的または誠的想念はその真実性と対応することによって天空的顕現として此処に明瞭に現れるからである。


波動の力

波または73である。7+3=十、7×3=21(777)、七七七は㐂である対応である。キ、基、木、鬼、輝でもある。対応の力の神髄でもある。

丑寅金神は呪いの神であり、鬼"氣"門とも対応するだろう。

波動の力とは空"無陰陽"の氣または二つ目に見える存在"エネルギー"そして見えない存在"エネルギー"の両に対応する。七つの理、全てはこの空の氣の神髄である。

人体の65-70%は水とされるのなら、現代人間は水であるが、水本来としては知覚されていないところにこの神髄の真理が秘められており、また水の極意を極める神髄となるだろう。

世界は水的であり、水的でない。空の氣は水的であり、水的ではない。身体は水的であり、水的でないと同意とも言えよう。キは氣であり、エネルギーである。

極性の力

意識と身体とは身魂の対応である。身を社とするなら魂を霊的意識とする。それを二元またはある域での連動を知覚、体現、顕現し得ないところに二元性として生じる。

対応の知覚、体現、顕現の在るところに不二"二二"としての神髄が現れる。


極性の力より成す歓喜弥栄の神秘


中性の力

中性の力とは、中的であり、宇宙的であり、沖的である。

陰を負い、陽を抱き、沖氣以って和を成す

道 老子

現象全てはこの宇宙そして大神の中で起こっていることであり、許されている、無善悪の神髄とも言えよう

シヴァ神にある男の崇拝者がいました。そのシヴァを崇拝する者は隣の妻神パールバァティーを崇拝しませんでした。

それが面白くない妻神パールバァティーはその者がシヴァ神に寄らぬようにさらに自身が寄りました。

その者は形を変えてシヴァ神の側にいきました。怒るパールバァティーを見かねてシヴァは妻神を膝の上におきました。

さらに形を変えてシヴァ神のみ崇拝するものに見かねてシヴァはパールバァティーと和合しました。女男、男女の力は和合するところに不二の神秘があり、心の和合し知覚、体現、顕現するだろう。

物質過多に囚われるように、つまらない愚痴、
生物"物質的"恐怖に囚われるように欺瞞そして不満、男と女の両面より意味の少ない卑怯的または攻撃的のみの体現を外にぶち撒けるものは、己の小ささ、未熟さ、己の内を見ずうちは、己の弱さを知りて一歩目⚫️-----😌-----⚪️

悪神の策略にまんまと引っかかっていては◉九十的神的意識より歓喜成長弥栄させることはできないだろう。


律動の力

律とは詩と対応し、詩はライム"rhyme"であり、ライム"rhyme"はバース"verse"であり、Verseは廻転である。

あるものは音楽を聴き、それと共鳴するように音は調律する神髄。視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚これは五感の対応の神髄は音であることを知覚し律することより超神髄的または超五感とする。知覚は第六感として対応する仕組み。

此処万物全ては音を属するように、内なる音は世界を調律する神髄となる。草木花、虫、動物、原子、惑星、光、波動とは音そのものである。


原結の力

原結の力を真に理解するためにこの七つの理を素直に受け入れることはそれである。

受け入れることによって、その原因と結果、因果の力とも言えよう。カルマである。

カルマとは存在であり、悪くも良くも知覚次第でなり得るが、意識の累積により無善悪を知覚するだろう。

カルマとは先に支払うか、今支払うか、後支払うかである。三界-過去現在未来の意識より意識の累積の神髄は成される。

瞑想とはただポーズをするのみではない。瞑想とは静止を意する。心の静止は神髄であり、歩いていようが食べていようが心の静止を知覚し得る。

行動"身"であり無行動"魂"、その二つが共存しているからあり、身の🧘も、魂の🧘もまた行動であり無行動であることを知る。


松の理 - 八つ目の理

松とは木、八、ムより形される字であり、ある顕現である。八つ目の理である。またムであり無でもある。

松葉である。DAOとはDecentralized Autonomous Organization 分散型自律組織であり、道とは中の国の語よりDaoである。日月の民でたり十理"天理"、大和の魂である日の本の国の民なら、この本意と松葉の意を得よう。

DAOとはCryptoクリプト環境から此処に顕現した言でたり十理"天理"、字でもある。クリプトとは暗号を示す。金または私利私欲のみに囚われるものの中には口がぽかーんのものもいようか。

イーサリアムとはイーサーEtherとも呼ばれる。イーサリアルとは極めて優美な、この世のものとは思えないを意する。Aetherとは根本的神的光とも言えよう。空である。物体であり、光であり、波"音"。

木は不動である。己の不動は途方も無い忍耐を要することもあるだろうが、神的意識より人間的知覚の100日は1秒であるの意を理解するだろう。時間は在るが無い、その本質は領域によって時間の知覚さえも異なる由縁である。

夢または幽谷、アストラル界の知覚を此処現代三次元的知覚にそのまま時間として対応させたらその先端を理解し得る。

松と対応する意識のおはなし。

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