彼は、カニを見たいからカニを見たんだ。〜さとり女子、夏目漱石「行人」を通して「心の底」を哲学する〜
こんばんは。
紅茶と味噌汁に唐辛子を足していることを後輩に話したら、
「るんさん、魔女にでもなるんですか?」とドン引きを頂きました、るんです!
今回は、前回の記事で軽く触れた、
自分の本心は何処にあるのか?
=この本心の根源はWantなのか?それともShouldなのか?
について、お話ししようと思います。
ただ、これは自分もまだまだ苦手な分野で、学習の五段階レベルで言う、
段階2=意識的無能(知っていてもできない)
段階3=意識的有能(考えるとできる)
ー出典:学習の5段階レベル-NLP学び方ガイド
ここの状態です。苦戦しています。
でも、言語化できないモヤモヤを感じる人が、少しでも本心に素直になって欲しい!という思いを込めて、今回は発信していきます。
よろしくお願いします。
①考えることって、楽しいけど楽じゃない話
るんは、「さとり女子」と自分で言っているだけあって、割と考えている方だと自覚しています。
実際に就活中人事の方にも私の内省力を指摘されることが多く、これを武器に何かできないかな?と思ってnoteを始めたのも事実です。
ただ、最近痛感していることが、
考えることって、楽しいけど、楽じゃないよねってことです。
るんが考える時って、まず「何故?」を考えるんです。
世界のトヨタでは「なぜ?」を5回繰り返すことで問題の真因を把握することを習慣づけているように、
「何故?」という問いかけは、悪いものではないと思うのです。
ただ、常に本質を考えすぎる思考のクセは、ビジネスのシーンで使われるくらいなんだから、頭をフル回転させるものです。その結果、やりすぎると、
・無意識に「AだからBである」といった、正しい解を求めている。
・答えをグレーにすることができない。白黒つけたい。
・常に正論を唱えてしまう。
といった弊害を引き起こしてしまうなぁと実感しています。
最終的には、るんが前回お話ししたように、
心の声を無視したり、嘘をつく状況になってしまいます。
そして心がしんどくなり、体が悲鳴を上げてしまうのです。
つまり、「考える」ということは、
・悪いものではないし、思考を深めることは楽しいもの。
・ただし理性で追求する問いは、頭でっかちになる。心と体を押しつぶす場合もある。
→つまり、楽しいけど楽じゃないもの。
だなぁと、感じます。
②あなたは、「一郎くん」みたいな人間になっていませんか?
突然ですが「一郎くん」と言って、あなたは誰を思い出しますか?
(山田一郎 a.k.a MC.B.Bを思い出したアナタは、私と握手しましょう。)
ここで話題に上げたい「一郎くん」とは、
夏目漱石の「行人」に出てくる「一郎くん」です。
(ちなみにこちらの一郎くんも三兄妹の長男です。奇遇ですね。)
るんは、一郎くんは「考える事が楽じゃないものになってしまった典型例」だと思っております。
そんな一郎くんが出てくる「行人」のあらすじは、以下の通りです。
学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。
ー行人(新潮文庫)|夏目漱石 |本 |通販 |Amazon
二郎くんが奥さんの貞操への潔白を話しても信じない位には、
人間不信・神経衰弱に陥る一郎くんですが...。
るんはこの一郎くんに、ものすごく共感してしまいます。
と言うのも、一郎くんも
・頭でっかちに考えすぎて苦しい&心が追いつかない
・真理を求めすぎるがゆえに、論理武装から脱出できなくなる
からです。
「兄さんには甲も乙でも構わないと云う鈍なところがありません。必ず甲か乙のどっちかでなくては承知できないのです。」
「昔から内省の力に買っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。」
以上三点は行人の引用ですが、、、非常に重たく、暗いですね。
これを読むだけでも、一郎くんの生きづらさや苦しみを理解していただけると思います。
私たち人間は、頭で悶々と考えていると、思考に一生懸命になりすぎてしまい、周りと自分自身が見えなくなる事があります。
「なんか肩肘張ってるなあ」なんて思ったら、
「自分は一郎くんになっていないか?」と、彼の状態を鏡にして自分をチェックする事をおすすめします。
③本心の根源の「Want」と「Should」とは?
「損も得も要らない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出している事が、一度や二度あるだろう。僕(一郎)の尊いというのは、その時の君(※)の事を云うんだ。その時に限るのだ。」
「しかしどうしたらこの研究的な僕(一郎)が、実行的な僕に変化できるだろう。どうぞ教えてくれ。(中略)君(※)は実行的に生れた人だ。だから幸福なんだ。そう落ち着いていられるんだ。」
(※)君:一郎くんのお友達のHさん。彼は一郎くんの神経衰弱を救うために、一郎くんを旅行に連れ出してくれています。
上記の引用を読むと分かる通り、一郎くんが一番求めているのは「本心のままで居られる幸福」です。
頭で幸福を求めちゃったので、神経衰弱になってしまった一郎くんは、
どうすれば「幸福」に辿り着けたのでしょうか?
結論から述べると、るんは、
一郎くんの「幸福」=「心を天然のままにする実行的な僕」は、
心の根源からの「Want」に従うと、到達できるのかなあと思います。
相当頭でっかちで気難しい一郎くんですが、
この旅行中に、「蟹に見惚れて、自分を忘れる」シーンがあります。
↑カニ メイクス 一郎 ハッピー
兄さんはこんな観察(=ススキの根を渡るカニたちの観察)をして、まだ動かずに立っています。(中略)兄さんがこういう些細な事に気を取られて、ほとんど我を忘れるのを見る私は、甚だ愉快です。
常に頭フル回転の一郎くんですが、
この時の一郎くんは、何も考えていないと思います。
だって、もし考えていたら、
カニを見ることに「なぜ?」と「真理」を追求しているはずですもん。
カニを見るのに理由はいらないのです。
カニを見たいからカニを見るのです。
るんは、
カニを見ている一郎くんの状態こそ、心の「Want」だと思います。
「●●だから、●●したい」。
これが、本心のままに生きると云う事だと思います。
一方で、
文末で「したい」と言ってても、
そこに理性的な理由が在る場合が、心の「Should」の時です。
「▲▲だから、●●したい。」。
口では「したい」と言っているものの、これは本心に嘘をついた状態。
「べき論」ではなく「したい」を主張しても、何か疲れている時は、
あなたはカニを見たいからカニを見ているのか?
一度、振り返ってみてくださいね。
④次回予告
今回は心の底における「Want」と「Should」について、お話ししました。
前述の通り、るんも、「Want」に正直になることが苦手です。
でも、今回のnoteでの言語化を通して、心に素直になることを、頑張りたいなあと思いました。
また、
このnoteを書いているうちにカニが食べたくなったので、
るんにカニを食べさせてください。
次回の記事でも「行人」に触れつつ、
お外について哲学をしたいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日々を、悟っていきましょう。
PS.
「行人」は青空文庫で無料なので、ぜひ読んでみてね。
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