読まれることを期待しない!そうすればnoteは永遠に楽しい
読まれることを期待しなければ、noteを無限に楽しむことができますし、楽しめば、いくらでも続けることができます。
noteを書くのは、誰かに認めてもらうためでもなければ、お金を稼ぐためでもありません。書くことそのものを楽しむためです。
もちろん読者に恵まれるにこしたことはありません。一生懸命に書いた作品が多くの読者に認められれば嬉しいものです。
読まれることは期待しないが、読まれる可能性もある。
これがnoteを最大限に楽しむ考え方です。
他者に認められる必要はない
誰かに認められなければ書いても意味がないのでしょうか。いいえ、そもそも他人の期待に応える必要はありません。その代わりに自分のしたいことをすべきです。
誰かに読まれないと意味がないのであれば、僕がこの1ヵ月間で書いた59本の記事は無意味で虚しい行為ということなりますね。ほとんど読まれていませんから。
しかし、実際には、僕はこの1ヶ月の間、noteを存分に楽しむことができました。
見てもらえないと意味がないと考えるのは、「あなたが読んでくれなければ、自分の文章は無価値なんです、どうか読んでください」と言うようなものです。
このように根本的には他者に認められなくても、ひとりで自給自足的にnoteを楽しむことができるわけです。
文章は読まれないのが普通
わずかな読者に恵まれるだけでも異常事態です。
その証拠に、ブロガーや小説家の卵は、日々読まれないであろう文章を何万文字も書いています。学者やプロのライターが出版した本ですら、ほとんど売れず、ほとんど読まれないことだってあります。
このように、読まれないことは普通のことなのです。
まとめ
良い書き手とは文章がうまい人ではなく、書くことそのものを面白がる人です。
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