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世界は美しいで溢れてる

私は美しいものが大好きだ。
人も物も、造形の美しいはもちろん。
人から感じる努力やエネルギーのような、形としては目に見えなくとも、たしかに感じられる美しさも。

私は宝塚観劇が生き甲斐で、ファン歴16年。
本公演に毎回通うようになってからは3年目になる。
容姿端麗が合格条件であるタカラジェンヌが美しいのは、ある意味当然の話。
だが、何が1番美しいか答えるなら、タカラジェンヌの頑張る姿勢だ。
初舞台生の口上やラインダンスに涙腺が緩むのは恒例。
ショーのダンスがハードな場面でしんどい顔を一切見せない、キラッキラの清々しい表情。
本人が涙を溢れさせるほど、役に入り込んだ熱い芝居。
私自身がバレエなどのダンス、合唱を経験したことで、プロになる為の練習量や努力がどれだけのものか想像しやすいからこそ、クオリティの高い舞台を見るほど、それまでの努力に思いを馳せてしまうし、尊敬を抱く。

私が特に惹かれるタカラジェンヌとして、表情の豊かさがある。
競技ダンス部時代、アピールという概念があった。
審査員に自分の存在をアピールする為、表情を作ったり目立つように大きく動いたり、大きな声を出したり。
ハードすぎる練習メニューの中でアピールを意識するのは至難の業。何より私は基本的に大人しく、目立つのが苦手だった。
殻を破るのに苦労したし、最終的に破れていたと言えるかもわからない。
それでも必死で食らいついたと思うし、卒部までやりきったのだから、他人がなんと言おうと私は頑張った。それでいいと思っている。
話を戻して、顔の表情を豊かに作るには、本人の精神的な余裕が必要だと思う。
余裕を持つには、沢山の練習や経験を重ねて、自信を持つしかない。
個人の素質として表情を作るのが得意な人もいるだろうが、それを活かすも殺すも自分次第。
それに、いろんな表情ができる=いろんな自分を見せられる=魅力の幅が増える。
単純に表情の変化があれば目を引くし、そこでいろんな魅力を知り、ますます目が離せなくなる無限ループ。
そして余裕は色気に繋がるので、どんどん沼に落ちてしまう。

昨日と今日、私は久しぶりに旅をした。
特急を使わず、何時間も1人で電車に揺られていたが、退屈は感じなかった。
窓の外には真っ青な夏の空、白い雲、山々の深い緑、どこまでも続く田んぼの黄緑。
夏の自然の色彩はこんなにも鮮やかで美しいのかと、うっとりと眺める時間はとても贅沢だった。
ぼーっとしたり、考え事をしたり、強制的に時間があるという環境も、なかなか良い。

最近、目に映る色の美しさにいちいちときめいてしまう。
今年の1月からrihkaにどハマりして、色に対するこだわりや美しいと感じるものさしが研ぎ澄まされたように感じる。
単純にLOOKに一目惚れして、それを実際にまとう喜びを噛みしめたり。
この服を着るから、ここに行くから、これをするから、この色を爪にまといたいとコーディネートしたり。
花や空の色など、自然の中に見つけた美しさを爪に落とし込めたら綺麗だろうなと想像したり。
目に映る物、瞬間を美しい絵として見たいから、ネイルをしたり。
今回の旅行は温泉だから、水の中でより美しさを感じられるラメ入りのネイルをしようと思った。
以前シャワーを浴びている時、水滴の下のラメの美しさに気付いてうっとりしたので。
悩みに悩んで選んだ色は、温泉に入るたびに私を幸せにしてくれた。
なんなら温泉に入らなくとも、視界に映るだけで満たされた。
ネイルのパワー、色のパワーはすごい。

私は自分の体型が正直好きではない。
骨格がしっかりしていて、上半身が薄く、下半身は運動不足で年々たるんでいる。
食に興味が無く、不健康そうだし、何より貧相で女性らしさがない。
服も気をつけないと肩幅広子だし、脂肪のつきにくい上半身は華奢には程遠く、二の腕や肩のラインはムキムキだ。
夏は毎年やつれてしまい、特別ある訳でもない腹筋があらわになり昆虫みたいに見える。
それでも、だんだん好きな服ができて、似合う服がわかってきて、鏡に映る自分が美しいと思えるようになってきた。
この体型だからこそヘルシーに着こなせる服があって、それが結構気に入っている。
家族以外にも常に愛情を注いでくれる人がいることで、自己肯定感が高まったのも大きいと思う。
現在の自分を受け入れられるようになったからこそ、さらに自分の目指す方向へ努力したいとも思えるようになってきた。
歳を重ねるのは怖いけれど、自分は可愛くないとわきまえている子になろうとした頃より、鏡を見るたびに自分美しいな、可愛いな、と思える今の方が人生楽しい。
いろんな経験や学びを通して得られた気づきは、生きていく強さになっている。
どうにもできない苦しい時があったから、自分の幸せを考えたし、自分の人生の主役は自分だという、当たり前なのに今まで気づけなかったことを思い出した。
いつも頑張りが足りないと思い続けていたけれど、必死で生きた上での結果だったと過去を肯定したら、全ての出来事に感謝できた。(完全に成仏させられないこともあるが、時間という薬はやはりあると思う)

とまあ、美しい車窓の風景を眺めながら連想することを書き連ねたら、ここまで来てしまった。
今の私に満足していない事はあるけれど、過去の出来事は私だけの物で、子供時代に親が与えてくれた環境も物も経験も全て感謝しかないし、時に理不尽な思いはするけれど、一生懸命生きている、頑張る道を選ぶ私を、私はやっぱり好きだ。
他人が頑張る頑張らないは関係ない。私は何事にも必死に全力でいく。それが私が後悔しない生き方だから。

久しぶりに文章を書こうと思い立った時はあんなに日差しが強くまぶしかったのに、気付けば空が暗くなり山の向こうが赤く染まっているのも見えた。

人も物も、目に映る世界の全てが美しい。
日常に溢れる美しさに気付ける人になれるよう、心を磨いていきたい。
なんて考えていたら、外が真っ暗になってしまった。

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