現代版・徒然草【94】(第18段・質素な生活)

暮らしが良くならない、生活がギリギリだという人は、毎日生きていくのに必死だろう。

その必死さの裏では、いかにしのいでいくかという知恵を働かせているわけであり、それができる人は、やはり賢いのだと思う。

自分にはなんの取り柄もないとか、自分は勉強できないから頭が悪いんだとかネガティブに考えている人は、この第18段で自信を持てるのではないだろうか。

では、原文を読んでみよう。

①人は、己(おのれ)をつゞまやかにし、奢りを退けて、財(たから)を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。
②昔より、賢き人の富めるは稀なり。 
③唐土(もろこし)に許由(きょゆう)といひける人は、さらに、身にしたがへる貯(たくわ)へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさごといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。
④また、手に掬びてぞ水も飲みける。
⑤いかばかり、心のうち涼しかりけん。
⑥孫晨(そんしん)は、冬の月に衾(ふすま)なくて、藁(わら)一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝には収めけり。 
⑦唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記し止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

以上である。

①②の文では、人は奢らずに財産もそんなに持たずにつつましく生きるのが良いと言っており、古来、賢者が裕福な暮らしをしているのは稀だと言っている。

まあ、今はビジネスに成功した人は裕福な暮らしをしているが、それは横に置いておこう。

③④⑤の文では、中国の伝説の賢者とされている許由の例を挙げている。

許由が何も持っていない状態で水を手ですくって飲んでいるのをある人が見て、水筒代わりのひょうたん(=なりひさご)を与えたのだが、それを木の枝にぶら下げて休んでいたところ、風が吹いて音が鳴るのでやかましいと言って捨てたという。

それでまた、手で水をすくって飲む生活に戻ったというが、許由にとっては、いかにすがすがしい思いだったろうと言っている。

同様に、⑥の文で孫晨も、冬の間、夜具がなくて寒さをしのぐのに、藁を敷いて身をくるんで寝て、朝には片付けるという生活をしていたという。

⑦の文は、解釈がいろいろとあるようだが、中国のこういったノウハウは世に伝えられているのに、日本では(=これらの人)そういう話は聞かないと言っているようだ。

日本の場合、仙人みたいな人が実際にあれやこれやと巷で話題になっていなかっただけだと思うのだが、ただ一つ言えることは、「金のかかることをしなければ、少ない収入でも金は貯まる」ということなのである。

私は、歯みがきのとき、コップは一切使わず、手で水をすくって口をすすいでいる。

よく考えたら、コップは不要なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?