20世紀の歴史と文学(1972年)

1972年は、2月と5月と10月に大きな出来事があった。

札幌冬季オリンピック、あさま山荘事件、沖縄返還、日中国交正常化によるパンダ来日である。

札幌冬季オリンピックは、1964年の東京オリンピックの8年後の開催だったが、日本中がまた熱気に包まれた。

実は、東京オリンピックも札幌オリンピックも、本当であれば、1940年に夏冬同時開催となるはずだったのだが、日中戦争から太平洋戦争へと戦禍が広がる中で軍部の反対に遭い、日本政府は開催権を返上したのである。

32年待ってやっと実現したオリンピックを彩ったテーマソングは、トワ・エ・モワの『虹と雪のバラード』だった。

トワ・エ・モワの歌は、聴いていて癒されることが多い。デビュー曲の『或る日突然』、『空よ』、『誰もいない海』など一度は聴いたことがある人はお分かりだろう。

このとき22才だった白鳥英美子も、今やもう74才である。

札幌冬季オリンピックが2月13日に無事に閉幕して、その6日後、世間を震撼させた「あさま山荘事件」が、長野県の軽井沢町にある河合楽器製作所の保養所だった浅間山荘で起きた。

連合赤軍メンバー5人が、当時山荘にいた管理人の奥さんを人質にとって立てこもり、実に10日間も、機動隊とにらみ合いが続いたのである。

あさま山荘事件の経緯など詳細についてはここでは触れないが、テレビでも実況中継がなされ、世間の注目が集まる中で、30人の死傷者が出た。

最終的には機動隊の突入によって、5人全員が逮捕され、人質は無事に救出された。

さて、冬が終わり春が過ぎて、初夏の季節に、沖縄の人々には長かったであろう「沖縄返還」がやっと実現した。

5月15日のことだった。

すでに終戦から27年が経っていたが、沖縄が返還されたことで、日本の施政権が手元に戻り、「沖縄県」は本土復帰を果たした。

しかし、沖縄県民が望んでいたのは、米軍基地のない故郷であった。

実際は、在日米軍基地が今でも残り続け、この基地の存在意義が問われるとき、日本の防衛を考えると、沖縄県民の思いには応えきれない難しさがある。

今や台湾有事が懸念され、中国の脅威とどう向き合うかを考えると、慎重な外交努力が必要であるが、その中国とは、1972年に日中国交正常化が実現した。

このときの内閣総理大臣が、あの田中角栄だった。

10月28日には、上野動物園に国交正常化記念としてパンダが贈られ、オスのカンカンとメスのランランが来日した。

一般公開されたのは1週間後の11月5日だったが、つい最近まで話題だったシャンシャン同様に、日本中に大フィーバーを巻き起こしたのだ。



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