20世紀の歴史と文学(1903年)

1903年は、のちの戦争における戦い方に大きな影響を与える出来事があった。

アメリカ出身のライト兄弟が、初めて有人飛行を成功させたのである。子どもの頃に、伝記のマンガを読んで、ライト兄弟の功績を知っている人もいるだろう。

これまで、陸軍と海軍しかなかった軍隊は、飛行機の登場で空軍が新たに創設されることになった。

ライト兄弟が有人飛行に成功した飛行機は、まだ骨組みが木製だったが、その後、各国の軍関係者や研究者が改良に取り組み、日本においても、鉄鋼業の発展とともに、現代の飛行機に近い流線型の金属製胴体に変わっていった。

今では当たり前のように聞く「空爆」なんていう言葉は、まだ100年ほどの歴史しかないのである。

飛行機を持てたら、ロシアのように冬季の海面凍結で船が出せない状況でも、イギリスや日本のような島国に対して、一気に上陸が可能となる。

こうして、世界各国の統治者は、自分の国が飛行機による攻撃の脅威に容易にさらされる時代の到来を認識し、それぞれの国の間で一気に緊張が高まっていったのである。

戦争の脅威とは別のところで、1903年は、大阪で内国勧業博覧会が開かれた年でもある。

今で言う「万博(=万国博覧会)」の国内版である。明治時代でも、世界では各国で万博は開催されていた。例えば、1873年のウィーン万博、1900年のパリ万博があり、日本も参加していた。

ただ、日本が万博を開催するだけの国力が当時はなかったので、「内国勧業博覧会」と称して小規模ながら、東京の上野で1877年・1881年・1890年に第1回から第3回が開催され、1895年には京都で第4回が開催、大阪は第5回で初開催となったのである。

このときの会場跡地は、今は天王寺公園になっており、会場跡地の西側エリアは、今では有名な「新世界」となっている。通天閣があるエリアである。

さて、文学関係では、のちに世間で有名になった人が6人も、1903年に誕生している(この世に生を受けた)。

詩人の金子みすゞと草野心平とサトウハチロー、作家の山本周五郎と小林多喜二と林芙美子である。

金子みすゞの『ふしぎ』、草野心平の『春のうた』の一節は、記憶しやすい。「私はふしぎでたまらない」、「ほっ、まぶしいな。ほっ、うれしいな。」を暗誦した人もいるだろう。

山本周五郎の『赤ひげ診療譚』や、小林多喜二の『蟹工船』も有名である。

林芙美子は、「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき。」という詩のフレーズが有名で、サトウハチローは、童謡『ちいさい秋みつけた』の歌詞を書いた人でもある(作曲は中田喜直)。

この6人全員が、戦争の時代を生き抜き、優れた作品を残したことで、私たちは教養面で多大な恩恵を受けていることは間違いない。

1900年のパリ五輪(万博も開催)と1903年の大阪内国勧業博覧会が、今年のパリ五輪や来年の大阪万博と、ほとんど同じ並びなのは偶然であろうか。






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