現代版・徒然草【47】(第172段・老いも若きも①)

「近頃の若者は」とは、いつの時代にも聞かれる言葉であるが、兼好法師が生きていた時代にもそういうことがあった。

要は、それだけ私たち大人が精神的にも成熟した人間になっている証であり、私たち自身も若者だったときは、「近頃の若者は」と言われていたわけである。

むしろ、そういった声が聞かれなくなったら、大人も成長できていないか、若者があまりにも早く成熟してしまったかのどちらかなのである。

では、原文を読んでみよう。

①若き時は、血気内(うち)に余り、心、物に動きて、情欲多し。
②身を危ぶめて、砕くだけ易(やす)き事、珠(たま)を走らしむるに似たり。
③美麗を好みて宝を費やし、これを捨てて苔の袂(たもと)に窶(やつ)れ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず、色に耽り、情にめで、行ひを潔くして、百年(ももとせ)の身を誤り、命を失へる例願はしくして、身の全く、久しからん事をば思はず、好ける方に心ひきて、永き世語りともなる。
④身を誤まつ事は、若き時のしわざなり。
⑤老いぬる人は、精神衰へ、淡く疎かにして、感じ動く所なし。
⑥心自(おのづか)ら静かなれば、無益のわざを為さず、身を助けて愁へなく、人の煩ひなからん事を思ふ。
⑦老いて、智の、若きにまされる事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。

以上である。③の文が少し長いが、全体的に兼好法師が言っていることは、今の時代にも当てはまる。③以降は、明日、引き続き解説していこう。

今日は、①②の文だけ触れるが、①では「若いときは、血気盛んで、いろいろと物事に心が揺れ動き、感情の赴くままに行動することが多い」と言っている。

②の文では、その行動がときに身の危険につながり、後先考えずに突っ走る様子は、珠玉が勢いよく転がって最後に砕け散るのに似ていると形容している。

身近な例だと、運転免許を取得したばかりの学生が、友達と深夜に車を派手に暴走させて、衝突事故を起こして帰らぬ人となるのは、毎年のように耳にする。

「イエーイ、ノッてるかい?」は、身の破滅につながるので、なるべく慎むべきなのだが、そこが人間の愚かさなのだろう。




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