古典100選(26)沙石集

今日は、鎌倉時代の1283年に成立した『沙石集』を取り上げよう。

仏教説話集であり、この説話集の「沙石」(しゃせき)の言葉は、「沙(砂)から金を、石から玉を引き出す」という「世俗的な事柄から仏教の要諦を導き出す」ことの意味から付けられた。

全10巻から成るが、僧侶の無住(むじゅう)が編纂した。

では、「勘解由小路の地蔵」というお話の原文の一部を読んでみよう。

近きころ、勘解由小路(かでのこうじ)に、利生(りしょう)あらたなる地蔵おはします。
京中の男女、市を成す。 
その中に、若き女房の、見目かたちなびやかなるが、常にまうでて通夜しけり。
また、若き法師の、常に参籠しけるが、この女房に心をかけて、いかにしてか近づかむずると思ひけるあまりに、同じくは本尊の示現の由にて近づかむと思ひ巡らすに、この女房、宵のほど勤めし疲れて、うち休みける耳に、 「下向(げこう)の時、初めて逢ひたらむ人を頼め。」 と言ひて、立ちのきて見れば、ほのぼの明くるほどに起きあがり、女の童起こして、急ぎ下向しけり。
僧は、 「しおほせつ。」 と思ひて、出で合ひて行き逢はんとするほどに、履物を置き失ひて、尋ぬれども見えず。
遅かりぬべければ、履物うちかたがた履きて、さきざき下向する方を見おきて、 「勘解由小路を東へ行かむずらん。」 と、走り出でて見るになし。この女房しかるべきことにや、烏丸を下りにぞ行きける。 
暁月夜(あかつきづくよ)に見れば、入道の、馬に乗りて、伴の者四、五人ばかり具して行き会ひたるに、立ち止まりてものいはむとする気色を見て、入道馬より降り、 「仰せらるべきことの候ふにや。」 と言へば、左右なくうち出でず。
やや久しくありて、女の童を以て言はせけるは、 「申すにつけてはばかりおぼへはべれども、勘解由小路の地蔵に、この日ごろまうで、申すことの侍りつるが、『この暁下向のとき、初めて逢ひたらむ人を頼め』と、確かの示現を蒙ぶりてはべるを、申し出づるにつけてはばかりはべれども、申さでもまた、いかがと思ひて。」 といひて、よにもの恥づかしげなる気色なり。

以上である。

途中までで切り上げたが、このお話の冒頭場面は、坊さんが若い女性に好意を持って、なんとかして自分のものにしようと、女性が仮眠しているときに、耳のそばで「帰るときに初めて逢った人を頼りにせよ」というあたかも勘解由小路の地蔵からのお告げであるかのように囁いたという内容である。

そして、女性が帰るときに、急いで先回りして自分が最初に出会う運命の男になろうとひそかに企むのだが、慌てたせいで、履き物を失念して出遅れてしまう。

その間に、女性は帰り道で、馬に乗った出家した武士に出会う。恥ずかしくて言いにくそうにしていたら、女性のお供をしていた女の子が代わりに伝えてくれたのである。

もちろん地蔵のお告げなどなかったのだが、どういうわけか、その出家武士もたまたま勘解由小路の地蔵にお参りする途中であり、妻に先立たれて3年になるから結婚しようと思っていたという。(この内容は、上記の原文の続きである。)

こうして、女性はめでたく結ばれ、坊さんの企みは失敗に終わったのである。

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