法の下に生きる人間〈第49日〉

1960年の安保闘争は、昨日の記事でも触れた「全学連」の学生たちが、国会前で警官隊と激しく衝突し、双方に負傷者が出たばかりでなく、東大生の樺美智子さんが死亡した。

学生たちが集団として国家権力に束になってかかってくるのは、第二次世界大戦前の軍部の台頭の時代には考えられない出来事であった。

結果的に、岸信介内閣が衆議院で強行採決を図ったことにより、衆議院で可決されたものは、いくら抗議が起ころうが、法律上、自然承認される形になった。

自然承認される根拠は、日本国憲法第61条に書かれている。

条約締結に関する事項は、予算案と同様に、衆議院における議決が優先されるのだ。

【第六十条】
予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。 
② 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。 
【第六十一条】
条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。

学生運動は、岸信介内閣が強行採決を図った後にさらに大きくなったのだが、当時の岸内閣は、安保関連以外でも国民の反感を買っていた。

それについては、別の機会に解説するとしよう。

ただ、最終的に、岸内閣は一連の混乱の責任を取って、安保闘争の沈静化の1ヶ月後、総辞職をした。

そのときに、岸信介が語ったことは、「安保改定が国民に理解されるには50年はかかるだろう」ということだった。

今はすでに、60年が経っている。

しかし、50年が経った2010年代、岸信介の孫にあたる安倍晋三が、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更を閣議決定した。正確な日付は、2014年7月1日である。(=安保改定から54年)

北朝鮮のミサイルの脅威や、中国の軍事力の増強など、日本を取り巻く安全保障環境が昔と大きく変わってきたことが理由だと、当時の安倍総理大臣は説明した。

この閣議決定の4ヶ月前は、ロシアによるクリミア併合が起きたことも記憶に新しい。

現代に生きる私たちは、戦争反対を唱えるだけでは、いつかは他国からの侵略に巻き込まれるかもしれない。

学校教育で、日本の将来を担う子どもたちに何を考えさせるのか。

核の脅威を前に、アメリカやロシア、中国のような大国とどう関わっていくのかという判断力や交渉力もしっかりと育てていかないといけないのである。





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