古典100選(7)落窪物語
継母が、実母の子どもに対して、自分の子どもではないという理由で虐待するのは、1000年も昔の平安時代に成立した物語にも書かれている。
今日は、『落窪物語』を紹介しよう。
『枕草子』を書いた清少納言も愛読したといわれているが、この物語は、現代語訳されたものを最初から最後まで読むと、まさに日本版のシンデレラストーリーである。
「落窪」(おちくぼ)という名前のとおり、畳の窪んだ部屋に「北の方」(=継母)によって幽閉されたかわいそうな姫君だが、右近の少将の目に留まり、落窪の姫君の実母に仕えた「あこき」やその夫の「帯刀」(少将とは乳兄弟)の協力もあって、「典薬の助」(=北の方の叔父)から危うく乱暴されるところを救われるのである。その後、右近の少将は、落窪の姫君をいじめた北の方に復讐し、いろいろと恥をかかせる。
では、巻一の最後の場面の原文を見てみよう。
①北の方、さすがに、日に一たび物食はせむ、物縫ひにより命は殺さじと思ひて、典薬の助を人間に呼びて、「かうかうなむ、しかじかのことあれば籠め置きたるを、さる心思ひたまへ」と語らひたまへば、いともいともうれし、いみじ、と思ひて、口は耳もとまで笑みまけてゐたり。
②「夜さり、かの居たる部屋のおはせ」など、契り頼めたまふに、人来れば、去りぬ。
③あこきがもとに、少将の御文あり。
④「いかに。その部屋はあくやと、いみじくなむ。なほ便宜あらば告げられよ。さりぬべくは、必ず必ず奉りたまひて。御返りあらば、慰むべき。いとあはれなることを思ふに」とあり。
⑤正身におろかならずいみじきことを書きたまひて、「いと心ぼそげなりし御消息を思ひ出づるに、いとわりなくなむ。いのちだにあらばと頼む逢ふことを絶えぬといふぞいと心憂きわが君、心強く思し慰めよ。もろともにだに籠めなむ」と書きたまへり。
⑥帯刀も「さらに、このことを思ふに、心ちもいと悪しくてなむ臥してはべる。いかに思ほすらむと、かたはらいたく、いとほしきに、法師にもなりぬべくなむ」と書きておこせたり。
⑦あこき、御返り、「かしこまりてなむ。いかでか御覧ぜさせはべらむ。戸はいまだあきはべらず。さらにいとかたくなむ。いかにしはべらむ。御文もいかでか御覧ぜさせはべらむとすらむ。御返りは、これよりも聞えさせはべらむ」と聞ゆ。
⑧帯刀がもとにも、同じさまに、いみじきことをなむ、言へりける。
以上である。
①から⑧の文章の訳は、あえてしない。
登場人物の名前を拾うだけでも、なんとなく状況は理解できるだろう。
姫君を救った少将は、藤原道長の長兄だった藤原道隆の長男「藤原道頼」がモデルとされている。
実際はどうだったかは分からないが、落窪の姫君だけを愛して、他に妻や愛人を持たなかったといわれている。
藤原道頼は、惜しくも995年に25才の若さで亡くなった。
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