20世紀の歴史と文学(1963年)

今日は、文学の話に入ることにしよう。

その前に、この年の11月22日に、ケネディ大統領が暗殺されたことだけは、記憶しておく必要があるだろう。

今日(こんにち)までに、テレビでもたびたび謎の事件として取り上げられてきたが、ここでは詳しくは触れない。

ただ、ベルリン問題もキューバ危機も、ケネディ大統領がいたからこそ、最悪の事態を回避できたことは間違いないだろう。

ケネディ亡き後は、当時の副大統領だったジョンソンが大統領を務め、そのジョンソン大統領令によって、フロリダ半島にあるNASAの管制センターが「ケネディ宇宙センター」と命名された。

これは、ケネディが大統領就任時に「1960年代のうちに月への有人飛行を実現する」と宣言していたこともあり、ケネディが亡くなって1週間後には、こう呼ばれることになった。

さて、昨日のキューバ危機の解説で、1962年の文学の話ができなかった。

1962年は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の新聞連載が始まったのと、安部公房の『砂の女』が刊行されたことが話題になった。

また、室生犀星が亡くなった年でもあった。明治・大正・昭和の3つの時代を生きて、72才で亡くなった。

そういえば、私たち中高年世代も、昭和・平成・令和の3つの時代を生きている。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は、私も若い頃に、全巻を読破したが、なかなかおもしろかった。竜馬の生きざまを自分に重ねて励みにしていた時期もあった。

安部公房の『砂の女』は、世界的にも有名になった作品である。

当時はまだまだ男尊女卑の考え方が残っていたと思うのだが、あれを読んだ男性はどう感じたのだろう。

最後は、主人公の男性の奥さんの届けによって、民法に則って、死んだことにされていたのは気の毒だ。

話は少しそれるかもしれないが、ムラ社会における束縛状態は、自由奔放に生きたい人からすれば、苦痛だろう。

最近は、移住に憧れを持つ人が増えているようだが、まだまだ地方のムラ社会は、昔からのルールというものが残っていて、せっかく自然を満喫してのびのび暮らしたいという気持ちがあっても挫折してしまう人もいると聞く。

人生は思いどおりにならないことのほうが多いものだが、ただ、そういった状況に直面したときは、自分が何をしたいのかを原点に帰って見つめ直すチャンスでもある。

この地に骨を埋めるつもりで、言うならば、「ついのすみか」として決めて移住したのか、よく考えると良いだろう。

「海が好きだから、海沿いの街に移住しよう。でも、南海トラフで被害に遭うのはイヤだ。」

そんな覚悟なら、『砂の女』の主人公の男性の最後の心理状態を考察してみてはいかがだろうか。





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