現代版・徒然草【67】(第177段・対処の身分差)
問題が起こってそれが解決できれば、めでたしめでたしとなるのだが、対処の仕方が身分の差で分かれてしまうのは、今も昔も同じだろう。
解決できればよいというものではないという実例が、鎌倉時代にもあった。
では、原文を読んでみよう。
①鎌倉中書王(ちゅうしょおう)にて御鞠ありけるに、雨降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと沙汰ありけるに、佐々木の隠岐入道(おきのにゅうどう)、鋸(のこぎり)の屑(くず)を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭(ひとにわ)に敷かれて、泥土の煩(わずら)ひなかりけり。
②「取り溜めけん用意、有難し」と、人感じ合へりけり。
③この事を或者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子(すなご)の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥かしかりき。
④いみじと思ひける鋸の屑、賤しく、異様(ことよう)の事なり。
⑤庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設(もう)くるは、故実(こしつ)なりとぞ。
以上である。
①の「鎌倉中書王」というのは、後嵯峨天皇の息子であり、のちに鎌倉幕府の第6代将軍となる宗尊親王である。(北条氏が執権として実権を握っていたので、あまり将軍が目立っていない時代であった。)
将軍になる前のまだ若い宗尊親王が、雨上がりのときに、庭で蹴鞠の会を開いたのであるが、あいにく地面がぬかるんでいて、どうしようと困っていたときに、隠岐入道という坊さんが、おがくずをたくさん台車に積んで、庭中に撒いてくれたのでぬかるみは解消された。
②の文では、居合わせた人たちが、(通常なら捨てるおがくずを)取りためておいた準備の良さに感心したという。
③の文では、それが大きな話題になって、後日、吉田中納言に、ある人が語って聞かせたところ、「乾いた砂の用意はしていなかったのか」と問われ、恥をかいたということである。
④の文では、たとえおがくずが役に立ったといえども、それは身分の低い人が適当に対処するやり方であり、実際に蹴鞠の会という儀礼的な場で、おがくずが辺り一面に散らばっているのは、見栄えもよろしくないと言っている。
⑤の文で締めくくっているとおり、庭で催しを開くのであれば、悪天候による足元の悪さも想定した上で、あらかじめ乾いた砂の準備をしておくのは常識的なことなのである。
とはいえ、こういったところで庶民感覚とのずれがあるために、お金のかけ方でいつの時代も行政に携わる者は非難されるのだろう。
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