歴史をたどるー小国の宿命(52)

平治の乱後、源義朝が殺され、その子である頼朝も約1ヶ月後に捕らえられてしまう。

捕らえられたとき、頼朝は13才であった。

死刑を覚悟していた彼は、思わぬ人物に救われる。

それが、平清盛の継母である池禅尼(いけのぜんに)であった。

この池禅尼の嘆願によって、頼朝は死刑を免れ、島流しの刑を受けた。

崇徳上皇は讃岐に流されたが、頼朝は今の静岡県にある蛭が小島(ひるがこじま)に流された。

今でも訪れることができるので、興味のある方は、この夏に行かれてはいかがだろうか。

香川県と静岡県に、崇徳上皇と源頼朝が、ともに流されていたのである。

そして、崇徳上皇は現地でそのまま亡くなり、頼朝はここから再起の道へと駆け出していくのである。

京都では、後白河上皇が引き続き実権を握っていたが、清盛も1167年には、天皇の側近としては最高位の太政大臣の地位にまで登りつめる。

平氏と源氏の勢力図が塗り替えられるのは、まだまだ先の話であった。


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