現代版・徒然草【35】(第117段・友達)

人生の中で出会う人は、良い人もいれば、悪い人もいる。

今日は、兼好法師が考える「友達としてはふさわしくない人」「友達としてふさわしい人」を知るとしよう。

では、原文をみてみよう。

友とするに悪き者、七つあり。
一つには、高く、やんごとなき人。
二つには、若き人。
三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。
五つには、たけく、勇める兵(つわもの)。
六つには、虚言(そらごと)する人。
七つには、欲深き人。
よき友、三つあり。
一つには、物くるゝ友。
二つには医師(くすし)。
三つには、智恵ある人。

以上である。

いかがだろうか。ふさわしくない人は7つ挙げられているが、ふさわしい人は3つである。

ふさわしい人の方からみていくと、物をくれる人というのは、たしかにありがたい存在である。卑しい人間みたいだという批判は置いとくとして、震災などで助けてくれた人は本当に感謝している。

医者は、当然だろう。病気のときの心強い味方である。

知恵ある人も、何かと助けてくれる。情報弱者にならないためには、必要な存在である。

さて、友達としてはふさわしくない人だが、兼好法師にとっては、①お金持ち、②若い人、③病気をせず、身体が丈夫な人、④酒好きな人、⑤血気盛んな勇者、⑥嘘つき、⑦欲張り、だそうである。

⑥と⑦は分かるが、①から⑤までは、ちょっと偏見があるのではないかと思う。

若い人から学ぶことはあるし、金持ちが皆付き合いづらいとは限らない。

身体が丈夫な人や酒好きな人というのは、逆に言えば、兼好法師が年老いて身体が衰えて、酒も嗜むことができず、僻んでいるのではないかと考えられる。

血気盛んな勇者は、たしかに接しづらい人もいるかもしれないが、用心棒代わりには、友達として必要だと思う。

最後に、お金持ちの人は、だいたい身分が高いわけだが、困ったときの神頼みではないが、友達としては一人いたほうがよい。

ただ、なんでもかんでも頼るのは、足元を見られるので、気をつけたほうが良いだろう。




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