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男の様な吹き姿になりたい

大人になったいつの頃からか、クラリネットを演奏する自分自身の姿について、もっと男性の様な見かけになりたいと考える様になった。

子供の頃から「私は何か間違いで女として生まれてきた」と自己認識していた。その理由は、

・“女のくせに”勉強が得意で常に好成績
・”女のくせに”勝気
・”女のくせに”リーダーの仕事が得意
・”女のくせに”スポーツが得意

だったからだ。

”女のくせに”は周囲の大人の多くや、男子クラスメイトが私に向かって言い続けたことだ。褒めるにもけなすにも”女のくせに”が枕詞としてひっつく。

何かが許される時も、”女だけれどいいよ”と、例外扱いされた。

その様な日常だったので、私自身も
「本当は男として生まれてくる予定だったのに、お腹の中から出る直前に何かの弾みで女になっちゃんたんだ。じゃないと“女のくせに”成績が良かったりするのは合点がいかない」
と考える様になった。

そうしているうちに、元来の勝気でガサツな性格も相まって、女の子らしい振る舞いや装いすら苦手になってきた。私の両親もヒラヒラした洋服は私に着せなかった。

加えて私は背が高く骨格が大きいので、とてもしっかりした体つきである。お世辞にも「細い」とか「か弱そう」とか「守ってあげたい!」という様相ではない。

“女のくせに”と言われ続けた外的要因、背が高くがっしりした体格と性格の内的要因の双方から、余計に“女の子”という枠の様なものに自分を入れてはおけかなった。

就職して以降は室内楽やソロを演奏する機会が少し増えた。つまり、多数の中の一員でなく、より判り易く一個人としてステージ上に存在する時間を持ち始めたのです。

そうなって突然気になり出したのは『吹き姿』である。

私はどうしても、ひらひらしたドレスを着て、こじんまりと可愛らしく舞台上に在ることよりも、足をしっかり開いてその場に立ち、体を大きく見せ堂々としているほうが性に合う。

いわゆる、男性演奏家のような吹き姿を望み、憧れていた。

しかしながら映像や写真で見返すと、なんだかチョロチョロとかしこまって小さくなっている私がいるのである。

ショック。

女であることを理由に様々に制限をかけられたり差別されたことと、それによって生まれた「私は本当は男だったけれど手違いで女に生まれたんだな」という子供の頃の自己認識、更に元来の男女関係ないはずの勝気な性格と、やっぱり女性であることの潜在意識。

これらがごちゃごちゃになって、見事に拗れている。


そういえば、オランダ音楽留学で知り合ったニコラス・コックス先生(Nicholas Cox)が、私にこんなことを仰ってくれた。


「いいかいルミ子、君はアジア人であることを西洋音楽を専門にすることの弱点だと思っているみたいだけれど、そうじゃないんだよ。何人だろうが、どこで勉強しようが、最も大事なことはその音楽を知ることなんだ。どういうものであるかよく勉強してそれを演奏するということなんだ。そこにはバックグラウンドは関係ない。よく勉強しなさい。君ならできるよ。」


この励ましを改めて考えると、私が拗らせている“女のくせに”にも効能があるのではと最近考えている。

女だろうが、男だろうが、作曲家や作品の意図を演奏として具現化する者としてただそこに在ることが可能ではないだろうか。

私としてのアイデンティティを持ちつつも、それは性別や人種など関係なくシンプルに「私」。そしてそのアイデンティティを後ろ支えにして、エゴを消し、音楽作品を音に起こしてあげる。

そんなことができるかもしれない。

新しい観察とチャレンジの視点を見つけた。


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