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【インタビュー Vol.2】生きていれば何とかなる~様々な葛藤から選んだ人生~

島根で多くの地元の方と関わり、地域活性化のために様々な活動をされている田中さん。そんな田中さんですが、以前は地元を離れて都市部で就職されていたこともあったそうですよ!どのようなきっかけで地元に帰る決意をされたのでしょうか。エネルギッシュな田中さんならではの働き方をこの記事でお届けします!

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◆田中理恵
1984年島根県出身。徳島大学卒業。大学卒業後はリクルートの岡山支部へ入社。しかし、兄の死をきっかけに島根に帰らなければならないという義務感が沸き、Uターンを決意。地域活性化のために2011年から江津市にて、NPO法人てごねっと石見の設立に関わり、同法人は2016年に「地域再生大賞」を受賞されている。現在は、高校魅力化プロジェクトや、自身が代表を務める(株)myturnにて地域人材の育成などを行っている。

1.田中さんの素顔に迫る

ーーー唐突なんですが、田中さんが考える自分自身の性格はありますか?

田中さん
「うーん、面白い質問だね。計算高くてしたたか、なのに愛されやすくてラッキー(笑)心に思っている事を表現することが多いけど嫌われないなと感じるかな。」

ーーーなるほど(笑)それはどういうところで感じますか?

田中さん
「二十代の時とか割とものを言うことに対して億劫ではなくて、社会人になってもおじさん達に言いにくいことを言うポジションになってたね。狙ったわけではなかったけど自分はそういう役割だと今では思ってるかなぁ。」


2.島根に帰る決意を持つまで

ーーーいつから島根に戻るというのが選択肢になったんですか?

田中さん
「二十歳までは島根に戻ることは何も考えてなかったかな。ただ、親が病気になったり、兄が亡くなってからは島根に帰らないといけないという気持ちがあったかも。というのも私の実家は田舎の農家だから。兄が亡くなったことで家を継ぐ人がいなくなってしまったんだよね。」

ーーーその時は義務感から島根に帰ろうとしていたんですか?

田中さん
「そうだね。兄はおそらくもっと違うところに行きたかったと思うんだけど、長男として島根に帰る事を美徳としていたように見えたかな。だから、私がその意志を継がなければいけないと感じていたね。」

理恵さん記事用

ご実家の様子(島根県)

ーーーその中で一度岡山の方へ就職をされてますよね?その時に悩みなどはありましたか?

田中さん
「なんか自分の中で気持ちが切り換えられていなくて、このまま島根に帰りたくないなとは感じていたね。結局、島根県内の会社説明会にも参加したけれどピンと来なかったから、一旦は岡山に就職を決めたんだ。ただ、就職が決まってからも島根に帰らなくていいのかな……という悩みはあったね。」

ーーーなるほど。リクルートを辞めてからUターンをしたと思いますが、最終的に島根に戻るきっかけになった背景には何がありますか?

田中さん
「リクルート退職後に、東京の会社に転職するという選択肢もあったけれど、島根に帰ることも考えていて…… だから、ここで帰らないとまた迷い続けるなと感じて悩みながらも一旦帰る事を決めたっていうのが正直かもしれないな。」

ーーー帰るという選択の時に同世代の人達と比較して戸惑いを感じることはなかったんですか?

田中さん
「新卒の時はあったよ。ただ、リクルートを辞めて島根に帰る選択をしてからは気にはならなかったかな。自分は決められたレールを降りた感じがして人と比べることがなくなったからね。」

3.悩む日々から楽しむ日々へ

ーーー島根に帰ってきてから物足りなさを感じていたことはありますか?

田中さん
「島根の実家の近くで働いていた時の会社は年功序列で物足りなさをすごく感じてモヤモヤしていたかな。」


ーーーなるほど、では悩んでいた日々から気持ちが変わったところの背景はありますか?

田中さん
「県内Iターンで江津に行くという選択が自分の中で一番チャレンジングな選択肢だったんだよね。なぜかというと江津市役所の人やNPO設立の発起人に、「りえちゃんの目指す方向で進めていい」と言われて活動したから。そこで、自分自身でプロジェクトを進めていくという経験をして、リクルートにいた時とは全く違う仕事をさせてもらえていたという感覚を持っていたなぁ。そのおかげで、地方に対しての考えが変わったと思うね。」

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江津市のイベント”手つなぎ市”での集合写真

ーーー江津という初めての場所で仕事をする際に、地域の周りの人たちから受け入れられない事があるかもしれないんですが、人間関係の構築など仕事面での大変だったことはありますか?

田中さん
「全然気にならなかったけれど、それこそが江津の魅力なのかもしれない。一人か二人しか知らない状況で横のつながりを作ってくれたから、受け入れられたという気持ちの方が強く感じられたかも。ただ、同じ県内でも住んでみないとわからない事もあって……生活面での苦労は大きかったなぁ。家賃1万円で借りることができた空き屋は下水が通っていない地域で、ぼっとんトイレだったんだよね。(泣)」

ーーー下水が通っていない?やっぱり生活面で大変な一面があったんですね。それでもその後は島根に対する思いも募っていって様々な活動をされてると思うんですが、途中で東京に行きたいという気持ちはなかったんですか?

田中さん
「いやぁなかったね。町から離れたいと思った事はあったけれど、都会への憧れはなかったかな。人が多いし(笑)特に地域はコミュニティが狭いように見えるけれど、江津に住んでいた時に東京からよく人が来てたから刺激がすごいあったのよ。だから、出たいというよりも新しく来る人達と活動していこうという気持ちになっていたかもね。」

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江津で出会った大学生たちとの集合写真

4.現在の活動

ーーー自分でこれまでの決断を振り返ってみてどう感じますか?

田中さん
「そこまで自分の生まれた家に縛られなくても良かったんじゃないかな。実家をどうにかしないとって思っている人は多いと思うけど、自分の場合は背負い込んだ時に誰にも相談していなかったから…。周りに相談していたら楽になっていたかもしれないね。それでも、決断してよかったなと思うかな。」

ーーーなるほど、それはどういう所に感じますか?

田中さん
「地域づくりの仕事をしていて、新しい人との出会いがある事かな。ただ、仕事ばっかりになるのは、苦しいなと感じるところかも。うちの子供には、なんでそんなに仕事しているのってよく怒られるなぁ。(笑)」

ーーーそのような仕事をしている中での良さと悪さがある上で現在の活動を続ける原動力となっている物は何ですか?

田中さん
何かを作り上げることかな。今は、表現するということを仕事を通じてできているのが一番自分の原動力になっているかもね。仕事を通じて、作りたいものや地域を作りあげていくことが楽しいと感じるから。だから、仕事の報酬は仕事ってよく言うけれど、その感覚があるかもね。」

ーーー仕事の報酬は仕事かぁ。いいですね(笑)では、その原動力をもってこれからどのような人生にしていきたいと思いますか?

田中さん
「もっと自由に仕事をしたいと思っているね。いま自分は魅力化プラットフォームの仕事もしているから、そこでは組織に合わせている自分もいるなと感じていて、もうそろそろ自分の会社で出番づくりの仕事をしていきたいと思うかな。自由にやっても嫌われないのを目指しているからね。」

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田中さんが参加されている地域魅力化プラットフォームでの研修の様子

ーーー自由に生きていくことの怖さはないんですか?

田中さん
「ないね。やっぱり計算高いんですよ(笑)私の自由っていっても、誰かに迷惑を掛けたりリスクを取ったりする自由というわけじゃないから。収入も生活の担保も将来設計した上での自由。自分らしいという感覚に近いかもしれないかも。」


5.田中さんの「軸」とは?

ーーー田中さんにとって大切にしている軸はありますか?

田中さん
生きていれば何とかなるというのは感じているかもね。こう感じるのは兄が亡くなったのが大きくて。自分は兄が亡くなった倍の年に近づいている中で、生きていればこんなに楽しいことがあるのにと思っていて……どこかで自分の軸になっているかもね。」

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田中さんのご実家周辺の様子

6.編集者の感想

インタビューさせていただく前に、田中さんが一度就職をした後に地域づくりの仕事をしている事に驚き、決意された背景に何があるのか疑問に思っていました。

今回の記事では、その決断の背景にある葛藤と共に、田中さんの軸を通した生き方を書いています。

この記事が地域づくりに興味を持つきっかけや、これから人生を歩む上での刺激になれば幸いです。

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インタビュー時の様子です

7.田中さんからの一言

学生たちと話をして感じるのは、たくさんの選択肢や社会人の先輩と出会う時間と、自分自身と向き合う時間と両方が必要だという点です。

いま注目しているのは、地元高校の卒業生を関係人口にすること。
「ルーツしまね」という島根との関りを考えるコミュニティ運営を学生たちが行っています。

いろんな生き方をしている社会人や地域の実践者と出逢って欲しいな。
ぜひ、興味があればインターン生も募集しています!

詳細については以下のURLからご確認ください。


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運営メンバーは随時募集中ですので、我々の活動に興味のある方は是非TwitterのDMにご連絡ください~


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