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発達障害と思うと成長できなくなる

発達障害ってありますよね。
最近はネットのおかげもあってか
ずいぶんその認知も広まりました。

僕も発達障害の診断を受けていて
アスペルガー症候群とされています。

発達障害ということがわからなくて
困っていたて、診断に救われたという人も
多いのかと思うのですが、
これについて問題なのは
「科学的根拠はない」ということなんですよね…。

発達障害を科学的に検査する方法がありません。

たとえばMRIなどの画像診断で
「ここがこうだからあなたは発達障害です」と
言うことができないんです。

つまりそれっぽい症状があれば
発達障害の診断が出ることになります。

で、その症状がどんなものかというと

・落ち着きがない
・集中力がない
・ものをよくなくす
・こだわりが強い …etc

誰にでもあるような性格的な事柄ばかりですし
どのくらいまでならという基準があいまいなんですよね。

落ち着きがないというのは
どのくらい落ち着きがないことを言うのか?

ものをなくす頻度は月に何回までならよくて
何回までならダメなのか
またその回数になる根拠はなんなのか?

そういう基準が医師によってまちまちだそうです。

なので、発達障害の診断がほしければ
それっぽいことを病院で行って回れば
どこかしら発達障害の診断をしてくれると思います。

発達障害を日本で広めたビーダーマン博士という人は
製薬会社から多額の献金を受けていたことが発覚していますし
ADHDの父と言われるレオン・アイゼンバーグ博士は
亡くなる直前に「ADHDは作られた疾患の典型」と言っています。

そういう経緯を知ることも大事だと思うのですが
発達障害の問題点として「自分は発達障害だから」ということで
自己成長をしなくなってしまうんですよね。

「自分は発達障害だから○○ができなくても仕方ない」って
あきらめるようになっちゃいます。

たしかに今の時代、
苦手なことを克服しようと頑張るより
得意なことを伸ばした方が成果も出るし
生きやすくなります。

でも「発達障害だから」とあきらめるのは
よくないと思うんですよね…。

僕も、発達障害を信じていたときは
「自分は発達障害だから」とある意味自分を特別視して
周りが気を遣ってくれるのが当たり前だと思っていた時期があります。

しかしそれでは主体的に生きられませんし
自分から「こういうのは自分に向いてないからやめよう」と思うのと
誰かに発達障害と言われて
「自分は発達障害だからそれはできない」と
あきらめるのとでは意味合いが違うように思うんですよね。

診断名に惑わされず前向きに生きていきたいものです。

発達障害の裏事情とでも言うんでしょうか?
僕はそういうことを運良く知れたので
今、自分が発達障害と診断されていることについて
まったく気にしていません。
単なる性格的なことですので普通の人だと思ってます。

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